siesta

 

 

 疲労とは、小石が着々と川底に埋まっていく様子と同じ形をしている。それが、スティーブの持論だった。
 何故こうも心身共に怠いのか――理由はひとえに、今朝方まで続いた個人の任務にあった。敵のアジトの下見で引き上げるはずが、共に行動していたシールド隊員のミスにより敵方に見つかってしまい、戦闘を余儀なくされたのだ。それが思いの外激しいもので、連日のヴィランとの戦闘により疲弊した体に更に鞭を打つ結果になった。
「少し、弛んでいるのかもな」
 自室のソファーでひとりごちた。朝食兼昼食を軽く腹に入れた今、気怠さは増していくばかりだ。部屋に差す陽光に身を委ねたくなりながら――この、とても居心地の良いチームの中で、無意識に弛んでいたのだと自分を律する。
「スティーブ?」
 新しいトレーニングのメニューを考えねば。そうした矢先、ドアのノックと共に、少し高めの甘い声が自身を呼んだ。
「入っても?」
「ああ」
 扉が自動で開き、見慣れたアンダースーツ姿が部屋の風景に切り込んでくる。「帰ってたんだな」とスティーブを見て笑ったトニーは、我が物顔でベッドに腰を下ろした。
「トニー、そこは」
「ん?」
「……何でもない」
 当たり前のような顔をして、スティーブのベッドに座るこの男に、いつも物申してやろうと思うのだけど――まるで猫の様なすまし顔でこちらを見られると、何も言えなくなる。どこで身に着けた処世術なのか。それとも、彼本来の気質が成せる業なのか。どちらにしろ、スティーブはそのあざとさに、文句の一つも言えないのだが。
「お疲れさま、スティーブ」
「ありがとう。無事に終わって何よりだった」
「……本当にお疲れみたいだな」
 形式ばった返答に、くふくふとトニーが笑う。
 顔にでも出てたか、と手を頬に当てると、トニーが続けて言った。
「眠そうだ」
「そんなことは、」
「スティーブ?」
「――眠いかと訊かれたら、まあ……」
 このソファーとトニーが居るベッドではかなり距離があるのに、下から覗きこまれるようにされて。スティーブはけして言葉にはしないものの、彼のその上目遣いに弱い自覚はあった。黒々として、悪戯っぽさを湛えた――ああやはり、猫に似ているのだ、と。
「寝ればいいじゃないか」
 右手でぽんぽん、とシーツを叩く男に苦笑する。シャワーを浴びていない、少しべたついた前髪をかき上げながら言った。
「昼寝はしたくないんだ」
「普段の君はそうかもしれないが、今日は別だ。本当に疲れてるぞ」
「平気だ」
「平気じゃない」
 頑として譲らないスティーブに、「まるで駄々っ子だな!」とトニーが呆れた声を出す。何故これほど拒むのだろうと、自分でもよくわからないままに、うつらうつらとする頭に手を焼いていた。
「あーもう、寝るんだスティーブ。倒れられても困る」
 トニーはそう言って立ち上がり、ソファーへやって来る。腕を引っ張られ、無理矢理立ち上がらされた。振り払うことも出来たが、流石にそこまではしない。大人しく引っ張られるままベッドへ連れていかれ、「寝ろ!」ときっぱり言われてしまった。
「…………」
 ごそごそと素直にベッドに潜り込む。それに満足げな顔をしたトニーは、再びベッドの端に座った。スティーブたっての希望による、それほど高級でないこのベッドは、トニーの重みにギシ、と音を立てた。
「子守唄でも歌おうか?」
「……寝ないぞ」
 トニーに体を向けながら言うと、まだそんなことを、とため息をつかれた。
「でかい子どもめ」
 落ちた前髪を指で掬われる。微かにふれた肌が、あたたかくて心地良かった。
 ふと、トニーがにまぁっと口角を上げる。
 これはよく慣れ親しんだ、スティーブをからかう時の表情だ。
「何だ、一人じゃ眠れないか?」
 案の定、面白がっているのを隠そうともしない声音で、そう言われた。
 普段なら反論の一つでもしただろうが、今は如何せん、頭がぼんやりとしてしまっていけない。
 だからだろうか。こんなことを言ってしまったのは。
「――ああ」
「へ?」
「一人じゃ眠れないんだ」
 言って、額にふれていたその手をがしりと力強く掴む。トニーは抗議の声を上げる間もないまま、スティーブのベッドへと引きずり込まれてしまった。
「ちょ、おい、スティーブ!」
「何だ?」
「俺は添い寝をするつもりはないぞ!」
「そうか。でも私は一人では寝られないんだ」
 まさかの反撃に、トニーが目を丸くした。
 その様子が猫みたいだと――これで何度目だ。スティーブは己の思考に笑ってしまった。
「……子守唄は?」
「それはいい」
「ふん」
「その代わり――」
 隣の体を、両の腕で抱きしめる。トニーの頭を胸の辺りに抱き寄せると、微かにその体が身じろぎした。
「……抱き枕か、俺は」
 若干不服そうな声がした。
 アーマーの修理でもしていたのか、仄かな機械油の匂いが鼻をくすぐる。そんなトニーの匂いと、洗い立てのシーツの――きっとスティーブが不在の間にトニーがジャーヴィスに洗濯させた――陽だまりの匂いは、スティーブの瞼をどんどん重くする。上瞼と下瞼の邂逅に逆らわず、トニーの少々硬めな質の髪に顔を埋めた。
「スティーブ、汗くさい」
「シャワー浴びてないんだ……」
「起きたら浴びるんだぞ」
「ん……」
 聞こえてくる声が、段々遠ざかっていく。ふふっと、トニーの笑みをのせた息が肩をくすぐったような気がした。
 ちょうどいい抱き心地だな。
 それはふと思ったことなのだけど、実際は口に出していたのかもしれない。腕の中にいるトニーが、少し怒ったように、肩に爪を立ててきたから。
 そういえば一緒に寝るのは初めてだ、とか。トニーの心臓の音は私よりも速いんだな、だとか。たくさんの欠片が過ぎったものの、次第にそれらは眠りの淵に呑み込まれていく。
 この感覚は嫌いじゃない。むしろとても――。
 その先は、スティーブとトニーの寝息によって、ぼんやりと輪郭がぼやけていく。
 川底の小石はさらさらと流れていき、その先の陽だまりの匂いに包まれて、ふわりとかき消された。

 

Fin.