STARFISH

 

 

 ホテルで名を告げると、案内されたのは部屋ではなく最上階のスカイラウンジであった。
 よもやそんな場所を訪れることになるとは思わず、普段と変わらない私服で来てしまった。幸いにもそこのドレスコードは厳しいものではなかったが、流石にスニーカーでは居心地が悪く不自然な動きをしてしまう。
 しかし、
「スティーブ」
 自身の名を呼ぶ声を耳にしたら、そんなことは頭から吹き飛んでしまった。
「トニー! すまない、待たせたか?」
 声の主はテーブルにロックグラスを置き、こちらを見て優雅に微笑んでいた。ジャズの生演奏が流れるラウンジで、暗いブルーのシャツを羽織ったトニー・スタークはまるで絵画のように美しかった。急ぎ足で彼の元へ向かい、隣に腰を下ろす。
「いや、私の方が早く着きすぎたんだ。飛行機は快適だったか?」
「ああ。私には十分すぎた」
 彼のプライベートジェットでここへやって来たスティーブがそう言うと、隣の男は満足げに口角を上げた。夜のガラスに映る自分達を見て、スティーブは再び自らの格好を恥じる。この場で違和感は無いにしても、彼の隣に座るにはやはりカジュアル過ぎだ。
「いい。君のいつもの格好が好きだから」
 そんなスティーブの思考を察したのか、トニーは優しく言った。既に少し酒が回っているのか、目元が淡く染まっている。見てはいけないものを見てしまったような心地になり不自然に目を逸らすと、彼はそれに気づいたか気づいていないのか、スティーブの太ももに手を伸ばしてきた。
「っ、」
 人差し指で太ももをなぞられる。段々と上に指が移動して、あわやそこに触れるか、というところで、トニーの手がぴたりと止まった。
「…………」
 頬が火照るのを隠さず視線だけを彼に送る。すると、隣の男は面白がっているのを隠そうともせず、スティーブが反応してしまうギリギリのところで指を遊ばせていた。
「……酔ってるな」
 言えば、トニーは素直に頷いた。
「君が可愛くて」
 人差し指だけのはずが、ついに左手全部でスティーブの足を撫で始めた。ぴくりと体が反応して、スティーブは今度こそ「こんなところで」と恥ずかしそうに呟いたのだった。
「ふふ、すまない」
 すんなりと彼の手が離れていく。そしてトニーはロックグラスの中身を全て傾けた後、バーテンダーに再び同じものを頼んだ。自分も飲むかと尋ねられたが何を選べばいいのかわからない。そんな様子を見てとったのか、トニーはビールを、と口にした。
「ありがとう」
 礼を言うと、「本当に慣れていないんだな」と返された。こくりと頷いて、手持無沙汰にテーブルの上で両手を組む。
「君に誘われて戸惑ったんだ。こんな所に来るのは初めてで」
 トニーはこの一週間、アベンジャーズマンションを留守にしていた。CEOとしての仕事が立て込んでいて、アイアンマンとしての活動もままならなかった。そんな彼の仕事が一息ついたとのことで招待されたのが、隣にビーチが併設されているこのホテルだった。ジャーヴィスからトニーの招待云々を聞き、戸惑いながらもここへ訪れた。周りを見渡しても、上流階級の人々しか目にしない。そんな空間にただのスティーブ・ロジャースが足を踏み入れるというのは、想像以上に緊張するものだった。
「昔はこういった所に招待はされなかったのか? キャプテン・アメリカとして」
「忙しかったからそれどころではなかったな。それに、招待してくるのは大体がプロパガンダで『キャプテン・アメリカ』を利用したい連中ばかりだったから、私もほぼ断っていた」
 昔を思い出しつつつらつら話していると、新しいグラスがやってきた。
「そうか。じゃあ、私の招待で君がここへ来てくれたのは、随分珍しいことなんだな」
「君がせっかく呼んでくれたんだ。どこへでも駆けつける」
 歯に衣着せず言うと、トニーは嬉しそうに目を細めた。互いのグラスを持ち上げて乾杯する。一口飲んだだけで、このビールがどれだけ上等なものなのかがわかった。
「君は何を飲んでるんだ?」
 スティーブの声に、トニーは気まずそうに目を伏せた。赤く染まった目元が、長い睫毛を更に際立たせている。それに見惚れていると、落ち着いた声がスティーブの耳に届いた。
「--カミカゼ」
 鋭い響きのそれに、顔をトニーの方へ向けてしまった。彼はグラスに目を落としたまま話を続ける。
「アメリカ人が作ったらしいが。このネーミングセンスだけは笑えないな」
 自嘲するように言って、男はグラスを指で軽く弾いた。
「バラライカでも頼めばよかったんだが、時たま無性にライムが恋しくなる」
 もう一度トニーはグラスに口をつけて、話を終わらせた。彼の体の中に入っていく酒の名前だけで、過去の様々な記憶がよみがえってきた。
「……確かに、笑えはしないな」
 スティーブの声音に何を思ったのか、トニーは先ほどのように中身を一気に煽ると、グラスを掴む手に己のそれを重ねてきた。
「っ、」
「キャップ」
 彼の上半身がこちらに傾き、上目で見上げられる。まるでアイラインのように見えるほど濃い下睫毛が、この角度だと更に際立って見えた。
「この上の階に私の部屋を取ってあるんだ」
 ここが最上階だと思っていたが、どうやら違うらしい。
「来ないか?」
 ストレートな誘いに、深く考えることなく頷いてしまった。窓の外の夜景が視界に入りこんできて、ちかちかと眩しい。
 印象的な黄金色の瞳が、今日は何故だか濁って見えた。それが放っておけなくて頷いたのだが、単に自分が彼と過ごしたかっただけなのかもしれない。別に、ふたりきりで一晩を過ごすことに、理由を見つけなければならない仲ではないのだけど。こうした色恋ごとに未だに慣れない自分は、辺りを見回して彼と共に夜を超す言い訳を、探してしまうのだ。

 

 ■

 暑かったんだ、と、彼は言った。
「久しぶりに着たスーツが少しきつかったんだ。アベンジャーズマンションに居るとよく食べることになるから」
 シャツのボタンを外しながらトニーは部屋を一通り見渡す。いつもよりもとろみを増した声で他愛のない話をする彼は、やはり外に居る時と違って随分リラックスしている様子だった。
「先にシャワーを使っても?」
「もちろん」
 尋ねられ、頷く。彼はすれ違いざまに小指を絡めてきた後、するりとバスルームに入っていった。
 スティーブはおぼつかない足取りでベッドルームに赴き、窓のカーテンを少し開けて外を見る。眼下には海が広がっており漆黒の波が砂浜に打ち寄せていた。太陽が昇ればここからの景色は一等のものなのだろう。それを思って口元に笑みを浮かべた。夏の太陽に煌めく海を見るのは好きだ。
 サアッと控えめに聞こえてくるシャワーの音に、はっと意識が戻される。この部屋の向こうに、曇ったガラスの向こうに、髪から、肌から水滴を滴らせるトニーが居る。それを思うだけで心臓が大きな音を立てた。何度回数を重ねても慣れることはない。
 君の為に体の外も内側も綺麗にする私を、恋しく思いながら待っていてくれ。私も君を恋しく思いながら準備をするよ。
 初めての時に告げられた言葉が、今でもスティーブのことをがんじがらめにしている。恋しかった。
 ベッドに座って大人しく彼を待つ。スティーブほどの体を受け止めても、このキングサイズのベッドは悲鳴一つ上げなかった。
『ーーカミカゼ』
 あの鋭い響きをした声が頭から離れない。そして、僅かに濁って見えた瞳の色も。膝に両手を載せその姿勢のままスティーブは考えていた。何故彼は今日、私のことを呼んだのだろうかと。
 しかし深く思考に埋没する間もないままシャワールームからトニーが出てくる音が聞こえた。反射のように顔を上げれば、いつもの真紅のバスローブではなく、黒のガウンに身を包んだ彼が近づいてきていた。
「何だ、随分硬い格好だな」
 軽い足取りでやってきたトニーはスティーブの隣に腰を下ろした。その拍子にガウンの隙間から彼の素肌が露わになる。思わず目を逸らそうとすると、頬に滑らかな手が添えられる。
「スティーブ、見てくれ」
 明け透けなそれに、スティーブは唾をごくりと飲み込んだ。頬に添えられる手と逆の左手が、トニー自身の肌を空気にさらしていく。ガウンがストンとベッドの上に落ちると、それは彼の腰の辺りを隠すだけの布になり、スティーブの前にはシャワーであたためられ火照った体が差し出されていた。
「トニー」
 名前を呼ぶと口づけられる。手入れの施された唇が、己の弾力のあるそれと重なる。何をしなくとも代謝でのおかげで荒れることはない自身の唇とは違って、何もしなければ皮がめくれかさついてしまうだろうトニーの唇がたまらなく色っぽいと思った。その手入れが誰のためのものなのか、スティーブはもう十分過ぎるほど知っている。
 以前教えられたままにトニーの体に手を添わせる。しっとりとした肌が手のひらに吸い付いてきた。自らの為に手入れされた、準備された体に、こんなにも劣情を煽られるのだということを、スティーブはこの男に教えられた。
 トニーの体が後ろに傾いていく。舌を絡めたまま彼の頭を支えてベッドに倒せば、彼の鼻から甘い息が漏れた。トニーの手がスティーブの服を脱がそうとし、それに「シャワーが、」と言いよどむ。
「いい。早く、スティーブ」
 待ちきれないと言うように、トニーの手がスティーブのそこを撫でた。びくっと反応したスティーブに眼下の男は満足気に笑みを浮かべる。
「はやく」
 無邪気な言い方とは反して淫猥すぎる表情を浮かべたトニーに、勝てるわけがないともう一度その唇に吸い付いた。

 

 トニーはよくスティーブのことを「可愛い」と評した。どこがと問えば、「うぶなところ」との言葉が返ってくる。
「普段はあんなに堂々としてるのに、私がキスを強請っただけで恥ずかしそうに目を伏せる。それを可愛いと言わずして、なんと言えばいいんだ?」
 そんなことを言われても、慣れていないということを隠すのは不可能であり、色恋方面では鮮やかにスティーブをエスコートしてみせるトニーにどうしてもおろおろしてしまうのだ。それ以外の場面ではけしてこんなところを見せない自負はあるのだが、トニーと肌を触れあわせると、普段の堂々とした態度が途端に子犬染みてしまう。
「ん、そこ……ァ、」
 トニーの中はスティーブの逞しい指を既に三本受け入れている。この小ぶりな尻に己のけして細いとは言えないものをねじこんでいるのだと思うと罪悪感が込み上げてくるのだが、気持ちよさそうによがるトニーを見ているとそれを凌駕する嬉しいという感情が頬を緩ませる。
「スティーブ、もう、」
 うつ伏せになり尻だけを高く上げていたトニーが物欲しげにこちらを振り向く。しかし、指を受け入れているとはいってもスティーブの滾った物を入れられるほど解れてはいない。
「まだ十分じゃない、怪我をしてしまう」
「いいから」
 焦るように言うトニーに困った顔をする。自分達の体格差故、無理は絶対にしたくない。とりあえずトニーの言い分を無視してそこを解すことに努めるが、トニーの手がスティーブの手首を掴んできた。
 力で言えばまるで赤子に握られたような拘束力しかないのだが、彼の珍しい様子にスティーブは一旦指を引き抜いた。潤滑油の音に身じろいだが、常日頃見ないトニーの様子に意識が向く。
「トニー、どうしたんだ?」
 肩を掴んで優しく体を仰向けにする。トニーは抵抗することなくスティーブの手の力に従った。顔は確かに快感で蕩けているのだが、目の奥は熱に浮かされることはなく冷えていた。
「トニー、」
「何でもない。今日は痛くしてほしい気分なんだ」
 言って、スティーブの顔を包んでキスを仕掛けてくる。スティーブはそれに応えたものの、神妙な顔をして彼から体を離した。
「トニー、何があったんだ?」
「何でもないと、」
「痛くしてくれだなんて、言ってほしくないんだ」
 今度はスティーブがトニーの顔を大きな手で包み、訴えるようにして言った。ルーブで濡れた三本の指が彼に触れないように力を入れているのを察したのか、トニーはスティーブの手から抜け出し横を向いてしまった。
「トニー、」
「寝る」
 スティーブに背中を向けたトニーは、いじけた様にそう返した。事の最中にそんな態度をとられるのは初めてで少なからずショックを受けてしまう。しかし、トニーがスティーブを拒否したわけではないことはわかっていた。
「トニー」
「…………」
「話してくれないか。今の君は心配だ」
 訴えるが、トニーは沈黙を返すのみである。無理強いをするつもりはないので、スティーブは大人しくベッドから体を起こし床に足をつけた。このまま隣で寝るには下半身の状態が不都合だ。一旦滾ってしまうと落ち着かせるのに時間がかかってしまうのだけど。--それは以前、自分のコンプレックスだったのだが、トニーと肌を重ねるようになってから気にならなくなったことの一つだった。
「……疲れて、」
 ふとその時、トニーの小さな声がした。
 常人なら聞き逃しただろう声も、スティーブの耳は拾ってみせる。
「疲れて、何もしたくなくて。でもそんな時、君の顔が浮かんだ」
 振り向くと、トニーは未だスティーブに背を向けていた。
「自分が疲れてることを忘れたいんだ。激しいセックスをして、痛みで気を紛らわせて、泥のように眠りたい」
 トニーには不眠症の気があった。それを打ち明けられた時の彼の自嘲するような表情が忘れられない。
「でも、会いたかったのは君だった」
 手を伸ばして、もう一度トニーの体をこちらに向かせる。抵抗することなくスティーブへと向いたトニーは、乾いた表情でこちらを見上げる。
「傷つけあいたい夜があることすらわからない、そんな男を思い出して、私はどうすればいいんだ?」
 まるであのカクテルのごとく鋭い声で、トニーは自らを嘲るようにして言う。
 スティーブはそんな男を見て、無意識に両手を伸ばしていた。トニーの体を起こし、大きな体で包み込むように抱きしめる。すっぽりと抱き込むことができる体はけして華奢ではない。しかし、今日はなんだかひどく頼りなかった。
「スティーブ?」
「わからない。わからないが、こうやって抱きしめるのは駄目なのか?」
 トニーは一度戸惑って見せた後、恐る恐るスティーブの背中に手をまわす。
「傷つけあいたいと言われても、私は君を傷つけたくはないし、」
「…………」
「君が泥のように眠りたいなら、私は君が眠るまでこうして抱き合っていたい」
 包み隠さず本音を口にすると、トニーが腕の中で身じろいだ。抱きしめていた力を緩めると、大きな瞳がスティーブを見つめた。
「君は、」
 彼の薄い唇が開く様を間近で見るのは、いつだって心臓に悪い。
「いつだって、怖くなるぐらい真っ直ぐだな」
 その笑みがいつも浮かべているものと同じだったので、スティーブは安心したように口元を綻ばせる。
 トニーが体重をかけてきたのでゆっくり後ろに倒れると、柔らかな枕に頭をのせたスティーブの体の上で彼は寝そべってみせた。
「真っ直ぐすぎるから、歪ませてみたい」
 喉仏を軽く噛まれ、低い呻き声が出た。そんなスティーブを見て、トニーは上半身を起こす。
「でも君は、歪んだりなんかしないんだろうなぁ」
 後ろ手で剥き出しのそこを掴まれた。急な展開に慌てるが、彼の手が容赦なくそこを扱いてくる。
「私なんかじゃ、君を変えることはできない」
「っ、トニー、……ッう、」
「憎らしいよ、スティーブ」
 扱いてくる手のひらはすべらかで、絶妙な力加減にスティーブは低く喘ぐことしかできなかった。そんなスティーブを見下ろすトニーの表情はいやらしく歪んでいる。それに呑み込まれそうになりながら、達してしまうのを我慢するべく腹筋に力を入れる。
「トニー、」
「ん?」
「いれた、い……ッ、ぅあ、」
 滾るそこを掴まれながらも強請るようにして言うと、トニーは口角を上げて「ああ」と頷いた。先ほどまでスティーブの三本の指を受け入れていた孔がくぱりと開き、張り出した先端をゆっくり咥えていく。その光景がスティーブに見えるようにしてトニーが動いていることは明白だった。あまりにも淫猥なそれから目を離すことができない。ごくりとスティーブの喉が鳴ったのをトニーは聞き逃さなかった。
「大きくなったな」
「……ッ」
 明け透けな物言いにかぁっと顔が熱くなる。「可愛い」と、トニーは更に腰を落とした。
 体格差のせいもあり、トニーがスティーブの上に乗り自ら腰を落として受け入れるのが常だった。それは今日も同じで、トニーは慣れた様子でスティーブの剛直を中へ中へと呑み込んでいく。
 しかし、やはりトニーの瞳にふと過ぎった陰に、スティーブは彼の腰を両手で掴む。
「ん……?」
 自らの下に居る男の珍しい動きにトニーは一旦腰を進めるのをやめた。スティーブは上半身を起こし彼の瞳を下から覗きこむようにする。
 トニーはスティーブのやりたいことを察したのか、何も言わず体を後ろに倒していく。慣れないながらも彼の体をしっかりと支え、ベッドに仰向けになったトニーの体に覆いかぶさる。
 初めてだった。彼に自身を受け入れてもらいながら、その顔を見下ろすのは。
「いい顔だ」
 トニーの右手がスティーブの頬に添えられる。それに応えるように腰を動かすと、トニーの口から甘い吐息が漏れた。
「トニー」
 唇を近づけて、触れ合うかどうかという距離で名前を呼んだ。すると微かに、トニーの瞳から濁った色が消える。
「辛くないか?」
 この体勢だとどうしてもトニーに負担がかかってしまう。スティーブに組み敷かれているトニーは少々眉を顰めながらも「大丈夫だ」と返した。
「んっ、……ぅ、っ、」
 控えめな喘ぎがスティーブの鼓膜に届く。甘くて、そして少しだけ苦しそうな、そんな声だ。
 軽々とトニーの腰を掴み、ゆっくり自身を奥に進める。ぴくんっと跳ねる体が愛おしかった。
「もっと、」
 じれったい動きにトニーがもどかしそうに言う。傷つけないように、苦しくさせないように、そんな気持ちで動くスティーブに激しさを求めるトニーは足をこちらの腰に絡めてくる。
「痛くしたくない」
「痛がってる、ッ、わたし、の、顔は、きらいか?」
 薄く開く唇の隙間から見え隠れする真っ赤な舌に、自身の大きく鼓動した心臓の音が聞こえるようだった。それにむしゃぶりつきたくなった衝動を抑えて、トニーの顔を両手で包む。
「嫌いじゃない」
「……ッう、ァ」
「だけど、気持ちよさそうな顔の方が、もっと好きだ」
 何の偽りも無くそう言えば、スティーブの手の中でトニーの表情がくしゃりと柔らかく崩れた。
「……ん、」
 恥ずかしそうに目を伏せられて、多分正解だったと胸を撫で下ろす。痛がっている顔が色っぽいとか、苦しそうな表情にそそられるとか、トニーはきっとそれをスティーブに求めるのだろうが、どうしたって、彼が気持ちよさそうにしている顔が一番好きだと思ってしまうのだから、彼の被虐的嗜好を真の意味で満足させてやることはできないのだろう。
「ん、そこ、」
 腹側を張り出した先端で擦ると、甘く強請ってくる声がスティーブを誘う。可愛い。
更に奥へと自身を埋めたくなり体重をかけると、スティーブの大きな体を受け止めるようにしてトニーの手が背中へとまわされる。
「ぁ、ア、……--ッ、いい、すてぃ、ぶ、すてぃーぶ、」
 奥を開くのを、入り口を擦るのを、ゆったりとした動きで繰り返す。冷房の効いた部屋は快適なはずなのに、熱くて熱くてたまらない。この腕の中でトニーが艶やかに喘ぐたび、その瞳が澄んだ色を取り戻していく。それでいい。退廃の色を纏うこの男はたまらなく魅力的で惹かれてしまうが、彼の生き様を記すように輝いてみせる瞳がやはり一番愛おしいと、そう思うのだ。
「中、に」
 だめだと一喝して、達する時は彼の体から滾ったそれを引きぬいた。なだらかな腹に白濁を吐き出して、それと共にトニーも掠れた声をあげて達した。混じり合ったお互いの欲がシーツの上に垂れていく。それを指でぬぐったトニーは、もう一度と、再びスティーブの腰に足をまわした。

 

 ■

 照り付ける太陽が肌を刺すようだった。目の前を歩くトニーはその感覚が嫌いなのか、長袖のバーガンディのシャツを腕まくりもすることなく羽織っていた。しかし、砂浜を裸足で歩くことは好きらしい。彼の格好と足元のアンバランスさに微笑みながら、スティーブも裸足で海岸沿いを歩いていた。
「ここの砂浜は綺麗だろう? 別荘を建てる計画もあったんだが、一人で来るのもなぁと思って何も進んでないんだ」
 振り返って彼が言う。昨日の表情とは打って変わって晴れやかな顔をしていた。真っ白なTシャツを風にはためかせてスティーブもまた口元を綻ばせる。
「別荘か。この季節にここを毎年訪れることができたら素晴らしいだろうな」
「建てたら、君も来てくれるか?」
「もちろん」
 他愛も無い話をして、ただただ砂浜を二人で歩く。こんなに綺麗な場所なのに、周りには数えるほどしか人影が無かった。
「……不思議だ」
 トニーが眩しそうに空を見上げる。スティーブが首を傾げると、ふと立ち止まったトニーが頬を掻きながら言った。
「私も君も夏が一番似合わないと思っていたが、案外しっくりくるものなんだな」
 体ごとスティーブの方を向いたトニーははにかんでスラックスのポケットに両手を入れた。珍しい仕草に目を奪われながら、彼の隣に並ぼうと足を進める。
「君はともかく、私も似合わないと思っていたのか」
「ん? 何だ、それは私だけが似合わないとでも言いたいのか?」
「君は、夏は嫌いそうに見えたから」
 軽口を叩けば同じトーンで返される。それが心地よかった。
「確かに嫌いだったが、」
 彼の右手がポケットから抜け出してこちらに伸びてくる。
「今、好きになった」
 そして、スティーブの左手と柔らかく絡んだ。大きさも厚みも全く違う手を、スティーブは優しく握り返す。空のてっぺんで太陽が自分たちを照らしている中肌を惜しげもなく重ねることは少しだけ恥ずかしかったが、それ以上にこみ上げてきたものは爽快感にも似た悦びだった。
 そのまま手を握り合って砂浜を歩いていく。ぽつぽつと、昨日起きたことをトニーが話し始めた。
「戦争の話になったんだ」
 シールドであったり政府であったりと、トニーはアベンジャーズと外部の組織を繋ぐかすがいのような役割を自ら担っている。普段であればスティーブもそこに同席するのだが、今回は彼の企業がやり玉に挙がったのでスティーブは着いていくことを望まれなかった。
「私が以前開発していたものを思えば何を言われても不思議じゃないんだが、昨日は、そうだなぁ……流石に疲れた」
 何を言われたのか、それを事細かに話そうとはしなかった。しかし何となくであるが察したスティーブは彼の手を更に強く握る。その力にふっと口元を綻ばせたトニーは「すまない」と謝ってくる。
「昨日は、君を傷つけようとした」
「……?」
「傷の舐めあいがしたかったんだ」
 昨夜彼が飲んでいたカクテル、ベッドの中での言動、思いつくものはそれなりにあったが、傷つけようとしたとの言葉はあまりしっくりこなかった。
「そうか……私は単に、慰めてほしいのかと思っていた」
 スティーブの言葉にぷっと吹き出したトニーは「多分、それであってたよ」と返す。
「私はひねくれていていけないな。君の真っ直ぐさが眩しいよ」
 照り付ける太陽に手をかざしながら隣の男は言う。自分は真っ直ぐなのか? と疑問に思いながらなんとなしに下に視線を向けると、あるものを見つけた。
「あ、」
「ん?」
 無防備な声を上げたスティーブをトニーが見る。どうしたんだ? との視線にスティーブはそれを指さした。
「ヒトデ?」
 トニーが不思議そうな声でその名前を口にする。オレンジ色をした星型の生き物が、スティーブの足元で小さく動いていた。
「初めて見た」
「えっそうなのか?」
 スティーブの言葉にトニーが驚いたように返す。特に珍しい生き物でもないが、こうして海の傍をゆっくり散歩することはスティーブには無縁のものだったので、星の形をしたそれが砂浜を少しずつ掘り返している様を見るのは新鮮だった。
「動きにくそうだな」
 二人でしゃがみ、ヒトデが動く様子を観察する。傍から見れば何とも奇妙な光景であるが、スティーブもトニーも目の前の生き物に心を奪われてしまっていた。
「絵や写真で見ると綺麗だったが」
「うん?」
 ぽつりと呟くとトニーが聞き返してくる。
「実際に見ると、結構気持ち悪いんだな……」
「ぶふっ」
 率直な言葉にトニーが吹き出した。くっくっと堪えきれないように笑うトニーに、何か変なことを言ったか? ときょとんとするスティーブだった。
「そうだな、確かに、見てるとぞわぞわしてくる」
「星型は綺麗なんだが……」
 興味津々な様子でヒトデを観察するスティーブを、可愛いと思っていることを隠そうともしない視線で、トニーは見つめていた。ヒーローとして活動している時は非の打ち所の無いリーダーぶりを見せる男だが、その素顔はとても純粋な少年のようなのだ。
「やっぱり、ここに別荘を建てるよ」
 トニーの声にスティーブがきょとりとした表情をする。
「毎年君と一緒に、この砂浜を歩こう」
 空で輝く太陽を映して、トニーが楽しそうに口にした。スティーブは嬉し気に口元を綻ばせこくりと頷き、再びヒトデに視線を移す。
「また来年会おう」
 スティーブの挨拶にまたしてもトニーが笑いだした。真っ直ぐで素直で時々びっくりするほど幼く感じるこの男が、トニーは好きで好きでたまらなかった。
 笑うトニーに不思議な顔をするものの、彼の屈託ない笑顔が見れるのは嬉しいと、スティーブも晴れやかな気持ちになる。
 真白に輝く太陽の下で星の形をした生き物を眺めながら、二人は互いに握った手をいつまでも離そうとはしなかった。

 

Fin.