「桜は好きか?」
その突然の問いかけに、ソファに座り本を開いていた男は少しだけ目を丸くさせた。
「さくら?」
オウム返しをする様に頷けば、しばらく目を伏せた後、「考えた事なかった」と、自分でも意外そうに言ってみせる。
「意外だな。じいさんがいかにも好みそうな花だが」
「だからその呼び方……というか、そもそも花をよく知らない」
ぶっきらぼうな言い草に、それもそうかと片眉を上げる。そして男の座るソファに自分も意気揚々と腰かけて、にっと口角をあげ顔を近づける。
「それじゃあ、私が連れていってやろう」
「どこに?」
「さっきも言っただろう、桜だ」
パタン、と閉じられた本がローテーブルの上に置かれる。こちらに向けられた体は未だサイズの合っていないピチピチのTシャツに覆われていた。いい加減新しいのを買ってやろうかとも思うのだが、その布越しに見える胸板を存外気に入っているので、この年若い――見た目に関しては――青年は、まだしばらくこれを着古すことになるのだろう。
「それは……僕の無知を笑いにいくとか、そういうわけじゃないんだな?」
「穿ち過ぎだ。そんな疑い深い男は嫌われるぞ?」
またしてもむっと深まる眉間の皺に呆れる。今日はどうやら虫の居所が悪いらしい。昨日の政府官僚との会議、という名の尋問に疲れたのか、トレーニングで思うように体を動かせなかったのか。様々な理由は浮かぶものの、自室に籠らずこのリビングで本を読んでいたということは、それなりにかまってほしかったんだろうと考える。
だから、というわけでもないのだけど。
「デートの誘いだよ、ロジャース」
ちゅ、と唇の端にキスをして言えば、スティーブはぱちぱちっと二度瞬きをした。その仕草があどけなかったので、思わず軽く吹き出してしまった。
仕切りのないガラス張りの窓の向こうにちらりと視線を送る。今はまだ昼前で、出かけようと思えばどこへだって行ける。
どうする? と目くばせすれば、スティーブはイエスとばかりにトニーの唇にむしゃぶりついてきた。
CHERRY BLOSSOM
「あんたは自分の意思を行動で表そうとするのは少し控えたほうが良い」
ハンドルを握りながら言うと、ばつが悪そうに助手席に座るスティーブは「すまない」と謝ってきた。
「私が言うのもなんだが、言葉足らずだ」
「…………」
二人はトニーの運転する車に乗りながら目的地へと向かっていた。運転手を呼ぼうかとも思ったのだが、それは隣の男が居心地悪そうにするだろうと思い、自ら運転するという結論に達した。
先ほど勢いよくむしゃぶりつかれ、そのままソファで一日を過ごすことになりそうだった。息も絶え絶えになりながら無理矢理ソファから転げ落ち行為を中断させ、スティーブに「行くのか行かないのかどっちだ!」とぴしゃりと言った結果、今に至る。
「我慢が効かない子どもじゃないんだぞ。ちゃんと口で言えるだろう?」
「……すまない」
先ほどよりも鬱蒼としたトーンで謝られる。拗ねた顔つきと相まって、反省しているかどうかは定かではない。謝ってるのにという心中があからさまに表に出ている。
「おい、ほんとに駄々っ子みたいだぞ?」
言えば、ぷいと顔が逸らされた。本当にご機嫌ななめなんだなとトニーは肩をすくめる。
まあこれも、年上の自分に甘えている恋人だと思えば悪くない。スティーブとは反対に、今日のトニーは上機嫌だった。何せ昨夜バナーと共同で続けていた研究が思った以上の成果を見せ、三日ぶりに自分のベッドで寝ることが出来たのだから。
スティーブはスティーブで、年上の恋人が見せる余裕な表情に拗ねたり落ち着かなくなっていたりしたのだが、トニー本人はそれを知る由もなかった。
アベンジャーズの基地から車で約二時間ほどかかるところにそれはあった。近くの駐車場に停め、目前の公園へと二人で歩く。周囲の車とは一線を画すトニーの車に、スティーブは思わず目を見張る。トニーの近くに居ると実感することはないのだが、ひとたび外に出てみると、彼の持つ資産の莫大さに頭がくらりとするのだ。トニーはそんなスティーブを見て、「私が金持ちでよかったな?」と軽口を叩いた。
中に入ると、そこは人がまばらにいるそれなりに大きな公園で、スティーブは所在なさげにきょろきょろ辺りを見回していた。その後ろを歩きながら、トニーは「どうした?」と声をかける。
「いや、思ったより人が少なくて」
「私が知ってる穴場だからな。まあ、この季節に人が集められるほどの数の桜もないしな」
トニーの言う通り、確かにここは巷で話題になるほどの量の桜の木はなかった。緑の木々の隙間にところどころに桃色が見える程度だ。
スティーブが「わざわざどうしてここに?」と尋ねてきたので、ちょうど傍にあったベンチに腰かけながら答える。
「人が多くても落ち着かないし、少なくったって桜であることには変わりない。あんたも私も、特別桜に興味があるわけじゃないだろう?」
「じゃあ尚更どうして?」
「じいさんはまだ知らないだろうが、桜を見ながら飲む酒はうまいんだ」
言って、肩にかけていた小さなワンショルダーから酒筒を取り出す。スティーブは呆気にとられた様子だった。
「そこに入ってたのって酒だったのか?」
「ああ」
かたいことでも言うつもりか? と身構えたが、スティーブはそれ以上言及はしてこなかった。代わりに勢いよく隣に座る。少しベンチが揺れた。
「桜を見ると言って、結局これなのか?」
「花より団子だよ、スティーブ」
「なに?」
「日本のことわざだ」
御猪口も取り出し、とくとくと注ぐ。手渡すと、スティーブは鼻を近づけて匂いを嗅いだ。
「日本酒は初めてだ」
「え、そうだったか? 基地にはそれなりに種類もそろえてるぞ」
「自分じゃ飲まないから」
トニーは自分の分も注ぎながら、ふむ、と考える。
もう一度アベンジャーズのメンバーでパーティーでも開催するか。この堅物にあそこの酒を一式飲ませてやりたい。
「じゃあ、これが初めてだな」
スティーブの御猪口に自分のそれを軽くぶつけると、小気味良い音がした。ぐいっと煽ると、スティーブも真似するように一気に煽った。
「ん、うまいな」
「だろう?」
甘口より辛口が好みだろうと持参したが、どうやら正解だったようだ。
「…………」
「どうした?」
スティーブが、上を見たまま動かない。訊けば、「綺麗だ」と一言返ってきた。
「これは――酒が欲しくなる気持ちもわかるな」
その言葉に促され、トニーも頭上を仰ぐ。酒を煽った勢いそのままに、スティーブはベンチの後ろで咲く桜に見惚れたようだった。
「……スティーブ」
「ん?」
呼んで、もう一杯をそこに注ぐ。飲もうとするのを制して、少し待てとジェスチャーをした。
スティーブは怪訝そうな顔をしたが、ちらちらと舞う花びらが御猪口の水面に降り立った瞬間、ふわりと顔を綻ばせた。
「わぁ。落ちてきた」
「ふふ、これが粋ってやつだ」
「それも日本のことわざかい?」
「んー……確か?」
はっきりしないなと、スティーブははみかみながら口をつけた。酒に酔わない体質なのでどうかと思っていたのだが、少しは機嫌が上昇したらしい。
「飲んだか?」
「ああ」
「よし、じゃあ歩くか」
立ち上がり、んーと伸びをする。横を見ると、ダークブロンドのつむじに一つ花びらが落ちている。
「……ふっ」
「ん?」
「いや、何でも」
言って、くしゃくしゃとその頭をかき混ぜた。何するんだ! とスティーブは文句を言うが、トニーは愉快で仕方なかった。
ああ、今日はどうしてこんなにも気分がいいのだろう。
トニーの楽しそうな様子にスティーブも怒る気が失せたのか、ため息をついて立ち上がった。
「君、今日は――」
「ご機嫌だって?」
言葉尻を攫えば、ああ、とスティーブは頷いた。
「そう、今日の私はご機嫌だ。だからあんたとこんな真昼間に公園の並木道を歩くのも悪くないと思えるな」
「悪くないどころか、随分楽しそうに見えるけど?」
「自惚れるなよキャップ! 悪くないだけだ。悪くないだけでこれっぽっちも楽しくない」
「そうか」
隣同士並んで、ゆったりと人気の少ない道を歩く。今日の日差しは春にしては強めだったが、木陰の多いここは少し肌寒いくらいだった。
「なあトニー」
「何だ?」
「ここにはよく来るのか?」
尋ねられて、トニーは「たまに来るぐらいだな」と返す。するとスティーブは一瞬だけ眉を顰めて再び前を向いた。
「たまに来るのも、一人でだぞ?」
察してそう声をかける。スティーブははじかれたようにこちらを見た。
「最近は数が減ったが、色々煮詰まった時とか、会社を抜け出したい時によく来てたんだ」
「抜け出す……」
「待て、今は説教する時じゃないぞ? まあ、だからその、何だ。ここに誰かを連れてくるのは初めてだ」
スティーブは驚いたように目を見開いた。その顔にくっと笑みを返せば、スティーブの体が触れあうほどに近づいてくる。
「……初めてだ」
「何が?」
「君の初めてを、僕がもらうのが」
身長差のため、上から囁くようにして言われた。周りに人がいないから大胆な心持になっているのだろうか。
「言うようになったな、スティーブ」
近づいた顎に鼻を軽くすり寄せれば、スティーブの手が腰にまわされる。お、と思うと同時に「君のせいだ」と服の表面をなぞる程度の力でそこを撫ぜられた。
「――じゃあ、もう一つ私の初めてを提供しよう」
ん? と首を傾げるスティーブの耳をつまみ、これでもかと声を低くして囁く。
「青姦に興味は?」
スティーブは最初は単語の意味が分からずきょとんとしていたのだが、トニーの表情を見て察したのかみるみるうちに耳を赤くさせた。
説教でもされるかと思ったが、意外にも腰を抱く手に力が込められる。
「…………ある」
どうやら今日のキャプテンは冒険心が強いらしい。耳にキスをし「こっちだ」と告げてから、ひらりとその手から体を離す。灰色がかったブルーの瞳に欲の色が灯る瞬間を見るのがトニーは好きだった。
酒の他に持参したものは、数個のスキンと持ち運び用のローションで、それを見たスティーブは呆れた顔をした。
「君、最初からそのつもりだったのか?」
「逆にそのつもりがないと外でなんてできないだろ?」
木を背に座るスティーブの膝に跨りながらトニーはそう返した。
公園を奥に進むと小さな林に繋がっていて、人っ子一人居ないその林の、特別葉が茂った所に二人はいた。ちょうどよく二人が座ることのできるスペースが空いており、トニーは初めにここを見つけた時は口笛を吹いたぐらいだ。
それに、スティーブが背にしている木は桜だ。桜を見ながら外でセックスなんて、こんなに贅沢な休日もなかなか無い。
「そう思わないか、キャプテン?」
「爛れてるとは思うよ」
そう言いながら、ここは準備万端だな。
そんな気持ちを込めて股の間で主張するスティーブのものをジーンズ越しに撫でると、その下で更に成長したのを手で感じる。
「よしよし、元気だな」
「そこに話しかけるのはやめてくれ」
トニーのTシャツの下をまさぐりながらスティーブは言う。ここは屋外のため上は脱がないつもりでその手を制すると、代わりに尻を揉まれた。
「最近トレーニングさぼってる?」
「どこを触ってその結論になったんだ」
むっとしてその唇に噛みつくようにキスすると、スティーブも遠慮なしにこちらの唇をこじ開けてきた。
「っふ、ん、」
ちゅくちゅくと舌を絡ませたまま、ジーンズのファスナーを下げ下着越しにそれを揉む。まだ柔らかさの残っていたスティーブの欲が段々と硬くそそり立っていくのを見るのは楽しい。だからそれを見るためにいったん唇を離した。
下着の上から弄るのも好きだが、汚すと帰りが困るので仕方なく脱がすことにする。トニーが贈ったグレーのボクサーパンツを下げると、勢いよくぶるんと飛び出してきた。
「ん、大きいな」
ちゅ、ちゅ、とこめかみ辺りにキスをしながらそう言えば、手の中のものがまたサイズを増した。わかりやすい。そう思って口元を綻ばせると、腰を両手で力強く掴まれた。
「トニー、君も」
熱烈な視線を込めてそう言われれば、応えないわけにはいかない。トニーはスティーブの肩に頭を預け、膝を地面につき四つん這いのような姿勢になりながら下を脱いでいく。スティーブはともかく、自分は下着含め下半身の衣類を全て脱がなければならなかった。この青天の下、普段は陰に隠れている部分をさらけ出すのはどんな気分なんだろうかと危うんでもいたが――存外、悪くない。いや、むしろ。
「……結構、興奮するな」
スティーブの首に擦り寄りながら言うと、ごくっと喉が鳴る音が聞こえた。
「トニー、見せて」
大きな手で頭を撫でられ、素直に頷く。肩に預けていた頭を持ち上げると、スティーブの足をまたぐようにして膝立ちになっている今は、きっちり着込んでいる上とは真逆に一糸まとわない下半身が全て丸見えになる。
「……いやらしいな」
内股をするりと撫でられて、体が小さく震える。スティーブの顔が先ほどとは打って変わってすっかり熱に浮かされたようになり、声が一段と低くなった。
普段のセックスの場所は大体がトニーの部屋であり、明かりをつけることはトニー自身が好まなかった。その理由は明白で、トニーはスティーブよりも随分と歳を経た体をあまり見せたくなかったのだ。自分でも何を殊勝なことを、とばかばかしくなるが、いかんせん、この完璧な肉体を持つ恋人の前だと、自分の体をさらけ出すことに躊躇してしまうのだ。だから実は一緒にシャワーを浴びた事もないのだが、その話はまた別の機会に。
それでも今、こうして真昼間にセックスに及ぼうとしたのは、ひとえにトニーの機嫌が良かったから、それだけだ。別に見せてもいいかと開き直ってしまい、今はむしろ見せつけるような体勢にもなっている。
そしてこれは思わぬ収穫なのだが、この男は存外、視覚に煽られるらしい。
「無理矢理にでも、部屋の明かりをつけとくんだった」
腿を撫でながら、スティーブはそう言った。トニーは「明け透けだな」と笑い、ローションのボトルを手に取る。中身を手のひらに出した後、それを後ろに持っていき指を中に埋めた。
「トニー、僕が」
「もうこっちはローション足すだけだから、自分の準備をしてくれ」
言うと、スティーブはぽかんとした。トニーは彼のつむじにキスを落とし、「準備したのがスキンとローションだけだとでも?」と笑う。
「――君は、」
「私が、経験豊富な恋人で、ん、よかったな」
慣れた手つきで後ろを解せば、もう十分に広がっていた。出かける前に入念に準備しただけある。
スティーブは尚も何かを言おうとしていたが、諦めた様子でスキンの口を破った。血管の浮いた立派なそれが薄い膜に覆われていくのを見るのは、楽しさ半分、落胆半分といったところか。しかしこの場所でスキンをつけずに行為に及ぶのは色々リスクが高すぎる。
「スティーブ、もう」
ちゅぷ、と糸を引いた指を抜けば、スティーブが無言で腰を引き寄せた。位置を調節して、先端が縁に触れるようにする。
「あつい……」
スティーブの耳元で少し息を荒げた声で言えば、「僕も」と同じく掠れた声がした。スティーブから同意を得るのは珍しいことなので、嬉しくなって思わずその首に腕をまわして抱き付く。
つぷ、と先端が中に入ってくる。微かな刺激が尾てい骨から背中を走った。ずぶ、ずぶ、と大した抵抗もなくスティーブのペニスがトニーの中へ飲み込まれていく。張り出したカリが前立腺を掠ると、電流のような快感がせり上がってきた。
「う、っん、……――あ、」
漏れ出る声を必死に抑える。いくら人気がないとはいえ、屋外で思い切り喘ぐのは流石に理性がやめろと告げる。スティーブの荒い息がトニーの首やうなじを撫でるたびに、きゅんと後ろを締め付けてしまうのが少しだけ恥ずかしい。しかしそれも更なる快感を煽る材料にしかならなかった。
「ん、あ、ァ、……っも、はいった――?」
「もう少し……ッ」
最後は勢いよくずるんっと入ってしまって、一瞬息が止まる。普段よりも奥に入っているというわけでもないのだが、中がぎちぎちと狭くなっている。いくら準備してきたとはいえ、まだ慣らしが足りなかったのだろうか。しかし、ゆっくり息を吐けば少しだけ後ろが緩んだ。
「っは、きつい、な」
スティーブが背中を撫でてくる。褒めるような、宥めるようなその仕草に体の奥がぼおっとするのを感じる。戸籍上は年上だが実際には幾らも年下であるスティーブにこうされると、どこか倒錯的な恍惚に耽ってしまうのだ。
「ん、まだ、動くなよ」
首にまわしていた腕をそおっと外す。そして、目線の下にあるスティーブの顔を見下ろした。ここからだと、桜の花びらの隙間から覗く太陽の光で、金色の睫毛が煌めいているのがはっきりと見える。この男はよくトニーの睫毛を褒めてみせるが、自分も負けず劣らず長い睫に縁取られた瞳をしているのだ。
「あんたの、ン、……顔を見下ろすの、は、気分が、ぅ、いい、な……」
まだ息が整わないままそう言えば、咎めるように軽く腰を使われた。そのせいでふにゃりと体から力が抜けてしまう。隆々とした二の腕を力いっぱい掴むが、痕の一つもつかないことはわかっている。
「……今日の君は、本当に機嫌がいい」
「ん――……?」
「いつもは、入れるまでに三回は怒られるから」
「あんた、が、ご機嫌ななめな分、……ッう、私が、いい気分、なんだ」
微かに笑って言えば、スティーブは目を泳がせて「そうか?」ととぼけてみせる。
「わかりやすいぞ。ン……何でそんなに、機嫌が悪い?」
眼下の顔が考えるような表情を見せた後、かぷりとトニーの首筋に噛みついてきた。痕が、と叱る前に、「侮辱されたような気がして、」との声がした。
「侮辱?」
「昨日の政府との会議で、君、途中で抜けただろう?」
「ああ……?」
その日、トニーは会議を途中で抜けなければならないことは先方に事前に告げていた。ので、その点については問題ないはずなのだが、もしや自分が抜けたことを根に持っているのか? と思ってしまった。
が、彼の表情を見るに違うらしい。
「その後に言われたんだ、誰かはもう名前も忘れたけど」
「何を?」
「時代遅れの年寄りだなって」
トニーは思わず呆気にとられた。
スティーブはばつが悪そうに視線を逸らし、トニーの腰を掴む手に力をこめる。
「君に言われるのはまあ、慣れたし、いや慣れたくはなかったけど」
「……――?」
「あの時にそう言われて、あんなに腹が立った自分に、驚いたんだ」
スティーブは、とん、とトニーの肩に額を乗せる。細くさらさらした髪が鎖骨をくすぐってきた。
「思ってたより、コンプレックスみたいだ」
いつになく弱った声でそう言うスティーブに、庇護欲がむくむくと湧き上がってくる。ただでさえ童顔気味の男なのに、この甘え方はずるい。
「まあ、何だ。あまり気にするなじいさん」
「今その呼び方をするか?」
スティーブが顔を上げ、むっとした表情で見上げてくる。その頬を両手でむにっとはさみながら、トニーは言った。
「そうだな、あんたは時代遅れの年寄りにしては、可愛すぎる」
頬をはさまれながら瞳をまんまるくさせる年下の男を見て、トニーはくつくつと笑った。
「……その励まし方はどうなんだ?」
「何だ、可愛いって言われるのは嫌いか?」
「好きではないよ」
そうか意外だと相槌を打てば、くんっと腰を動かされ、中のものを意識せざるをえなくなる。
「……っン、」
本当に、この腹の中に埋まっているこれだけは可愛くない。その気持ちを込めて中を締め付けてやれば、スティーブがぐうと呻いた。
「チェリーと名高いあんたが、ン、桜の、下、で、ぅ、セックス、とはな」
「しつこいな……」
ぐ、ぐ、と突き上げる動きが段々と激しくなる。
「君で卒業させられたよ」
明るい空の下で性的に顔を歪めてみせるスティーブは、言うまでもなく絶景だ。普段はこちらの言葉遣いにすらうるさいヒーローは、日の下でこんなにいやらしい顔も出来るのだ。
ふと、ひらひらと舞う桜の花びらが目についた。柔く仄かに灯る桃色が、目の前の唇と重なる。
「……っと、」
下唇についたそれを、スティーブが鬱陶しそうに剥がそうとする。しかしその片手を制して、トニーは顔を近づけた。
「――ん」
音を立てずに口づける。薄い花びら越しに感じるスティーブの唇は、相変わらず噛んでしまいたくなるほどの弾力があった。スティーブの下唇に張り付いたそれを、舌で絡めとる。そしてそれを舌を出して見せつければ、中のものが一層サイズを増した。
「……――ッ」
腰を掴んでくる力が強くなる。煽りやすく、興奮したことがわかりやすい。
父と同じ時代に生きたことのあるこの男に、父性を求めたこともあったけれど――一歩踏み込めば、頑固でうぶなまだまだ年若い青年だということを実感するのだ。
「っあ、」
「トニー」
腰を掴まれたまま、スティーブのものが激しく突き入れられる。下から突き上げるのに慣れないからか、もどかしそうに歯を食いしばっているスティーブの額にキスをした。それに煽られたのか、中のものが更に硬くなる。
「トニー」
「なんだ?」
「動きにくい……」
恥ずかしそうにそう言うスティーブに、トニーは吹き出した。その拍子に中が締まり、二人して小さく喘ぐ。
「ふ、しかたない、な」
「笑わないでくれ」
「笑ってなんかないさ、かわいらしいとは思ったが」
腰を前後に揺すると、低い呻き声がした。
「外で淫行に耽るヒーロー二人、か。一面スクープものだな」
「その口はほんの数分くらいとじてられないのか?」
お返しとばかりに、強く奥を突かれる。動きにくいからか、いつもより乱暴な気がする。
「ン、興奮、するくせに」
漏れそうになる喘ぎ声をなんとか押し込んでにやりと笑えば、腰を掴む手の力が強くなった。
「だからとじてたほうがいいと忠告したつもりなんだけど?」
スティーブが珍しい笑みを見せる。片頬だけ上げる、男臭い表情だ。
「…………」
「なに?」
ふと口をつぐんでみせたトニーに、スティーブは片眉を上げた。黙ったら黙ったで怪訝に思ったらしい。
「スティーブ」
少しだけ額に張り付いている前髪を人差し指ではらう。陽に当たって光る絹のような感触のダークブロンドの髪は、さらさらと指から滑り落ちていってしまったが。
「あんた、そういう顔、似合うな」
こめかみに流れてきた汗もぬぐってやる。トニーの細やかな仕草に年若い恋人は煽られたようで、腹に埋めている楔が正直に反応した。
「……舌噛ませたくないから、黙っててくれ」
優しいのか横暴なのか。そのどちらとも取れる物言いを、トニーに対してはよくする男だった。
肌に痕が残るぐらいの力で腰を掴まれ、奥へと楔を打ち込まれる。動くことが難しいので、限界まで中を拓くことにしたらしい。その衝撃に息を飲み、震える手でスティーブの逞しい肩にすがる。
「っあ、ぅ、……ふか、い、」
「ん、いや?」
存在感を誇示するように奥を強くくじられる。黙っててくれとの言葉に素直に従ったトニーは、無駄口を叩く余裕もなく首を振った。
「すてぃ、ぶ、……――ッ、ぁ、ア」
尾てい骨のあたりをゆっくり撫でられると、まるで猫のように背中が反ってしまう。それがお気に入りらしいスティーブは、のけ反ったトニーの喉に遠慮なく噛みついた。
急所をあられもなく曝け出すトニーに興奮を隠そうともしないスティーブは、中でぐうっとそれを膨らませた。
「っ、もう、」
その一言と共に、中がじわりと熱くなる。スキン越しとはいえ、腹の中で出されるとその熱さにくにゃりとそこが緩んでしまう。
「……ァ、く、ぅ、」
もう少しで達せそうだというところで放り出されたような気分だ。そんなトニーに謝るようにして、スティーブの手がTシャツの中に滑り込んできた。
「ふぁ、ぁう、――ッ」
優しく揉まれ、乳輪を指でなぞられる。その快感が直接中のイイ所も刺激するようで、頼りなく震える唇から僅かに唾液が零れる。
「トニー、」
「ん、ン、……あァ、っく」
「顔が見たい」
尖った胸の飾りをきゅうっと強く摘ままれ、達しそうになりながらも弱々しく顔を上げる。スティーブのぎらついた目を見つめながら、一際大きく体を震わせた後、トニーはついに限界を迎えた。
「あ、ぁ、……ッや、う、……――ッ」
結局、そそり立つ自身には一度も触れられないまま白濁を零すことになってしまった。もう体は若くないというのに、酷く体力が持っていかれるセックスを好む恋人を持ってしまったことがトニーの最近の悩みの種だ。
「……っは、ぁ、……も、抜け」
「うん……」
「っひ、あ、だ、だめだ……ッ! う、動くな、」
どっちだ? と笑ってみせるスティーブをじろりと睨む。息も絶え絶えな自分とは違って余裕綽々な態度の彼が憎い。
「動かずに抜け……」
「僕でも流石にそれは無理だな」
トニーの背中を撫でながらスティーブが言う。その普段よりも低く甘い声に絆されて、分厚い肩に右頬を預けた。
「桜、」
「ん――?」
「君の髪にたくさんついてる」
きっと、髪に落ちている花びらを一つずつ取ってくれているのだろう。しかしその手つきが、まるで頭を優しく撫でてくるような動きをしていたので、スティーブには見えないように首筋に鼻を擦りつけて、ふふ、と、嬉し気に鼻を鳴らしたトニーだった。
「どうして今日はそんなに機嫌がいいんだ?」
木の幹に背中を預けるトニーの膝に、頭をのせながらスティーブが尋ねた。
男にひざまくらなんて初体験だと思いながら、その髪を梳く。
「久しぶりに睡眠がしっかり取れたから、だな」
「自分でわかってるなら、普段からちゃんと寝てほしいよ」
眉を顰めたスティーブの眉間を指でぐりぐり押してやる。こんな調子で眉間に皺をためていたら、きっといつか癖になるぞ。
「あんたに小言を言われるのはむかつくが、もう若くないのは確かだからな。気をつけることにしよう」
情事後の怠い下半身をスティーブのために明け渡しているトニーは、自分を見上げてくる恋人を見て目元を緩める。その表情にスティーブは一瞬見惚れたようだった。
「…………」
「何だ?」
「君は花なら何でもと思ってたけど、桜は一等似合うんだな」
まだまだおぼこい表情をするこの男は、口説き文句だと自覚せずにこういった台詞を吐いてくるのが実に厄介だ。それに赤面するほど経験は浅くない、しかし、嬉しいとときめくぐらいには、自分もまだまだ現役らしいのだ。
「――なあ、スティーブ。これは日本の言い伝えなんだが」
スティーブの血色のいい唇を親指でなぞって、以前聞いた話を口にする。
「桜は木の下に埋まる死体から血を吸っているから、あんなに綺麗な色をしているらしい」
澄んだ瞳が大きく見開かれる。それに吸い込まれそうになりながら、トニーは話を続けた。
「私の親父とお袋の墓にも、もし桜の木があったら」
「……――」
「それも綺麗に、染まるんだろうか」
ふっくらとした桃色の唇を指で押せば、そこはじわりと色を濃くする。
スティーブは己の唇を弄ぶトニーの手を掴み、その手のひらに唇を押し付けた。
「……ああ。きっと」
瞼を閉じてそう言ったスティーブに、少しだけ歪んだ笑みを浮かべる。
どうしてもまっすぐなだけではいられない自分たちは、時折酷く傷痕をほじくり返したくなる時がある。
「ハワードと、君のお母さんの墓参りにいつか行けたら」
スティーブが瞼を開け、トニーの顔をその澄んだ瞳に映す。陽の光に照らされるそれは、やはり微かにくすんだ灰色を滲ませる青だった。
「君は桜がとても似合うんだと、伝えたいな」
まだ、この男を自分の両親の眠る場所に連れていくことはできない。
だけどいつか彼を連れて行く日が来たら、ここの桜の花びらでも手土産にしようか。
「……――気障だって、親父は笑うぞ」
スティーブの硬い指の腹が目尻をつい、と撫ぜてくる。その指の先が濡れていて、歳を重ねると涙腺が弱くなるんだと言い訳をした。
遠い昔、親父とお袋と、花見をする約束をした。幼い自分は花なんて全く興味なかったけれど、母に似合うんだと密かに零した父に、どうしようもなくむずがゆくなった。その約束はついぞ叶えられることはなく、今日のこの歳まで生きてきた。
君は桜が似合うだなんて、本当にそんなことを言う男が居るのだと、おかしくて泣けてくる。可愛くて愛しくて憎い恋人。あんたはいつだって、この傷痕のかさぶたを剥がして、口説き落とすようにきつく抱きしめてくるんだ。
本当に、憎くて愛しくて、可愛い恋人。その衝動のままに眼下の唇に己のそれを近づけたら、大きな手のひらが後頭部を包み込んできて、息も出来ないぐらいの、激しい口づけをされた。
Fin.