猫とマンネリと痴話喧嘩。

 

 

 最近マンネリ気味じゃないか? と、スティーブにぽろりと零してしまったのが悪いんだと思う。
ああわかってる。今回は完全に俺が悪い。この事態を予測できなかった俺が百パーセント悪かった。
 だからと言って、この状況に納得できるわけじゃないんだ。
「う、ふぅ、……ッ」
 ずちゅ、ぬちゅ、と酷い音が部屋に響く。情事の音に赤面するほど純情なわけではない。だけれども、スティーブが目の前で俺をじっと見つめていなかったら、の話だ。
「あ、あ、」
「こら、止めるな」
 ぴしゃりと言われてしまって思わずびくんっと体が震えた。いつものトレーニングと変わらぬ言い様に奥が疼いたのは気のせいだ。気のせいに違いない。
 俺の手にあるのは毛並も艶も申し分ない黒色の尻尾だ。それはなんと俺の尾骶骨から直接生えているもので、握ると感触がそのまま俺に伝わる。そしてあろうことか、その尻尾の先は俺の尻の中に埋まっている。俺から生えている尻尾が、俺の尻の中に埋まっている。これが異常事態だと言わず、何と言えばいいんだ。おかしい。これは明らかにおかしいぞ。
「集中しろ、トニー」
「うぁ、や、な、なんで、だぁ」
「君がマンネリだと言ったからだろう? 私はとても楽しい」
 そりゃそうだろうな! と喚きたくなったが唇から出たのは残念なことに、蕩けきった喘ぎ声だけだった。
 するりと「耳」がスティーブによって撫でられる。そしてそのまま耳の穴に指を入れてくすぐられると、ふにゃあと体が弛緩してしまう。ああまったく、この体は一体どうなってしまったと言うんだ!
「常々思っていたんだが……やっぱり、君の声は猫に似ている」
「んぅ、ふ、みゃ」
 それは今、俺が猫耳と尻尾を生やしているからじゃないのかと思ったが、喉から実際に猫の鳴き声のような音が漏れてしまっては、もう何も言えなかった。
 自分の尻尾を握り、自分の尻にそれを抜き差ししている。マニアックにもほどがあるこんなプレイをする事態になってしまったのは、二週間前の俺の言動が原因だった。

   ▲▲

「最近マンネリ気味じゃないか?」
 一戦交えた後、同じベッドに寝ているスティーブにそう言うときょとん、とした顔をされた。少しだけ目が丸くなった表情は可愛い。先ほどまで可愛さの欠片もない行為をしていたとしても、だ。
「まんねり?」
「マンネリ……ん? わかるよな?」
「わかるが……」
 スティーブのおぼつかない様子にマンネリの意味がわからないのか? と思ったが、そういうわけでもないらしい。
「気持ちよくなかったか?」
「そういうわけではなく、」
「私はとてもよかった」
 きっぱりそう言われてしまって、思わずきゅんときてしまう。おまけに頬を親指で撫でてきた。スティーブのこういうところに俺は弱い。絆されそうになるが、はっとしてスティーブの手を顔から離す。いかんいかん、俺は今日はっきり言うと決めたんだ。
「そうじゃなく、新鮮さがなくなってきたと思わないか?」
 スティーブは再びきょとんとした顔を見せた。何を言ってるんだ? とその表情が如実に語っている。この男はそれほど表情豊かなわけではないが、夜は昼間よりも表情筋が緩い気がする。それを見られるのは自分だけなのだと思うと、優越感で胸が湧きたつ。が、今はやはりそれに浸っていてはだめだ。
「私たちに新鮮さが必要だろうか?」
「必要だ! 何事も楽しむためには新鮮さが欠かせないだろ?」
「……私とするのは楽しくないのか?」
「そういうわけじゃない」
「じゃあ何なんだ?」
 スティーブはむっとしたのか少し眉を顰める。何と言えば伝わるのかと考えたが、結局、率直に言わなければ伝わらないと思った。
「俺たちは、その、いつも手順が決まっているだろう? 最初はこうして次にああして最後はこうする、みたいに」
「それのどこが悪い?」
「だから、それがマンネリじゃないか? と言ってるんだ。いつも同じ具材ばかり夕飯で食べていたら飽きるだろう? それと同じだ」
「でもそれが私たちには一番いいんだ」
 今度は俺が「ん?」と眉を顰める番だった。どういう意味だと問いかける前にスティーブが話を続ける。
「それが一番体に負担がかからない。私はともかく――私に付き合っている君には」
「……――」
 一瞬口をつぐんだ後、思わずはあ? と言ってしまいそうだった。
「この俺に? この俺にセックスで気をつかってるのか?」
 俺は自他ともに認めるプレイボーイだ。セックスにおける場数は同年代の男にはけして負けない自負がある。そんな俺につい最近までチェリーだったキャプテンアメリカが気をつかうのか?
 思わず寝そべっていた体を起こすと、スティーブも同じように起き上がった。
「君は以前男は初めてだと言っていたじゃないか」
「それはそうだが、それにしたって君が俺に気をつかうのは意味が分からない」
「気をつかってるんじゃない。君を思ってのことだ」
「それと気をつかってることの何が違う? 私はセックスに関しては間違いなく君より上手だ」
 そう言うと、ますますスティーブの眉間の皺が深まった。こんなことを口論するつもりじゃなかったが、一度勢いがつくとなかなか止まらない。
「そうだとしても、私と君では力も体力も違いすぎる。どうしたって君に負担がかかるんだ」
「それぐらい俺自身でどうとでもなる。いつもそんなことを考えて俺とヤってるのか?」
「当たり前だろう! セックスはふたりでするものだ。君にもしものことがないよう考えられることは限界まで考えるさ!」
「セックスの時ぐらい直感に頼ってみたらどうなんだ! 俺は君にそこまで気をつかわれるほどヤワじゃないし、そもそもそこまで余裕があったことにむかつくぞ!」
 お互いに声が大きくなって、喧嘩腰の言い方になる。話していることは至極間抜けな内容なのだが、どうしてか引き際が掴めないでいた。
「私が君のためと思っているのがわからないのか?」
「わかるよ。わかるけど押しつけがましくないか? いつ俺が君に気をつかってほしいと頼んだ?」
 じっと俺たちは互いの顔を睨みあっていた。すると、先にスティーブの方が顔を逸らしてベッドに横たわる。
「……少し頭を冷やそう。私はもう寝る」
 大人な対応の様に見えるが、声はすっかり拗ねてしまっている。俺はどうしようか迷ったが、ここは俺の部屋だ。スティーブの部屋で寝てもいいが、部屋主の俺が出て行かなければならないのは腑に落ちない。結局そのままベッドに横になったが、お互いに背を向けていた。
 初めてかもしれない。同じベッドで寝ているのに、背中を向けているのは。
 そのことに少しだけ寂しさを覚えたが、スティーブの方を向きなおる気にもならない。そして何とも言い難いわだかまりを抱えたまま、俺たちは眠りについた。

 

 次の朝起きると、スティーブはもうベッドに居なかった。
 いつも早朝のジョギングでスティーブの方が起きるのは早いから特別なことではないが、服が無くなっているから彼はまだ怒っているのだろう。いつもなら、ジョギングを終えた後シャワーは俺のいる部屋で浴びるから、服はそのままなのだ。
 はあ、とため息をついて起き上がる。リビングへ向かうと、ソーがいちごを齧っていた。それは確かサムが買っていたものだった気がするが、それに言及する気は起きなかった。
「ん。珍しく早いな、スターク」
「おはよう。俺にも一つくれないか」
 ソーが差し出してきたものを一つ手に取る。すると、足音が聞こえたような気がした。
 それはソーも同じだったようで、二人で上を見上げると、スティーブがジョギング帰りだと思われる白いTシャツとジャージ姿のまま、リビングに下りてくる。
「おはよう。ソー、スターク」
「おはよう。キャプテンも食べるか?」
 ソーが爽やかにスティーブにそう返した。俺はと言うと、あまりにも普通に挨拶をされて、思わず驚く。一粒のいちごを持ったまま「おはよう」と返すと、スティーブはちらりと視線を寄越す。ソーはいちごの載った皿をスティーブに差し出していた。
「ああ」
 しかし、スティーブはその皿ではなく俺の方に手を差し出す。
「は、」
 そしてあろうことか、スティーブは俺の手を掴み、自分の口元に持っていく。まさかと思ったのも束の間、俺の手にあったいちごをスティーブはそのまま齧ってしまった。
 微かにスティーブの歯が指先に当たる。昨夜の名残が未だ抜けないそこがきゅっと疼いた気がした。手を振り払う間もなく、スティーブの顔と手が離れていく。
「少し酸っぱいな」
「甘いだけだと飽きるだろう?」
 何も無かったかのように味の感想を告げるスティーブと、同じく何も無かったかのように笑うソーに、俺は口をつぐんでいた。
 ソーの前で何を、と言ってやりたかったが、スティーブは「シャワーを浴びてくる。今日のミーティングはいつも通りの時間だ。二人とも遅れるなよ」と完璧な「キャプテン」の言葉を残してリビングから去ってしまった。
「……なんなんだ?」
 よくわからないスティーブの行動に、思わずそう口にしていた。するとソーが、いちごを頬張りながら「喧嘩でもしたのか?」と尋ねてくる。
「わかるのか?」
「君よりもむしろ、キャプテンの方がわかりやすいな」
 そうなのか、とぽかんとしていると、最後のひとつが乗った皿を差し出された。
「原因は知らないが、早く仲直りするといい」
 それができたら苦労はしないんだがな、と言う前に、ドンッと決して控えめでない音がタワー内に響いた。
「これは」
「ハルクだな……」
「私が様子を見てこよう。そのいちごは食べていいぞ!」
 そう言ってソーは勇み足でリビングを出て行った。様子を見に行くと言うより、起き抜けに軽い殴り合いをしに行ったのだろう。
 皿に載ったいちごをつまむと、今度こそ自分の口に放り込んだ。スティーブの言う通り、少し酸っぱい。
 結局サムのいちごは食べきってしまったので、今度新しくフルーツを買ってきてやろう。

   ▲▲

 俺たちは結局、喧嘩をしているのかもよくわからなかった。スティーブは極めて普通だし、俺も普通だし。ただ、あの時のことを口に出すことはなかったけど。
――それが喧嘩をしているってことじゃないか? と気がついたのは五日が経ってからのことだった。
「なんか、猫の鳴き声すんだけど」
 と、クリントがぽろっと零したのは、スティーブと喧嘩してからちょうど一週間後のこと。サムは「猫?」と不思議そうな顔をし、ハルクとソーは特に興味を示さずテレビゲームに夢中になったままだった。
「俺は聞こえなかったぞ」
「んー、気のせいか?」
 俺の言葉にクリントは顔をしかめた。
 しかし、突然びゅっと目の前で何か白いものが横切る。
「ん?」
 俺とクリントがその正体を確かめる前に、タブレットを触っていたサムが「わっ」と驚いた声を上げた。
「わ、わ、なに?」
「それ」はサムの膝にやってきたようだった。ふわふわとした「それ」は拳三つ分ほどの大きさで、サムの膝の上にいる様子は毛玉にしか見えなかった。
 サムが恐る恐るそれを持ち上げる。すると、「みゃう」となんとも可愛らしい声がした。
「……ねこだ!」
 サムとクリントが同時に叫ぶ。
なるほど、先ほどクリントが耳にしたという猫の鳴き声の犯人は、どうやらこいつのようだった。
「でも何でこんなところに、」
 サムの言葉を待たず、その猫は彼の手をすり抜けて再び俺たちの傍を勢いよく横切る。彼(彼女か?)はそのままソファーにぴょんっと飛び乗り、緑色の膝に落ち着いた。
「あ……」
 ハルクの膝に猫が。これはやばいんじゃないか、と俺、クリント、サムの三人は顔を見合わせる。ハルクは未だソーとのテレビゲームに夢中で、猫には気がついていないようだった。
「てか何でこんなとこに猫が? 猫はタワーに勝手に入れんのか?」
「そんなはずはない。誰かが連れ込んできたなら別だが……」
 クリントの質問に答えると、もしかして、とここに居ない人物が思い浮かんだ。
 すると案の定、「おーい!」と少し焦っている声が聞こえた。
「どこに行ったんだ?」
「あ、キャプテン」
 サムがスティーブの姿を見つけ声をかける。スティーブはきょろ、とリビングを見渡した後、「猫を見なかったか?」と唐突に切り出した。
「やっぱり君か」
「白い毛玉みたいなやつならハルクが膝に載っけてるぞ」
 クリントが親指でハルクたちの方を示すと、スティーブはほっとした顔を見せる。「すまない、後できちんと説明する」と言い残し、スティーブはソファーの方へと歩いていった。
 スティーブはハルクの膝にそーっと手を伸ばし、白い塊を掴み上げる。その間もハルクはゲームに夢中だった。そんな調子で大丈夫なのかハルクは。同じく全くこちらの様子に気がついていないソーも含めて。
 スティーブはそのまま猫を自分の胸に抱きこちらにやって来る。「みゃうっ」と先ほどと同じ鳴き声がしたが、少し不機嫌さが増したように聞こえた。
「んで、何で猫なんだ?」
 クリントが尋ねると、スティーブは少し考える素振りを見せた後、「着いてきたんだ……」と珍しくもごもごした言い様で答えた。
「着いてきた? どういうこと?」
「シールドに用事があって、トレーニングがてら走ってタワーまで帰ろうとしてたんだが――その道中でこの猫が着いてきて、」
「そのまま連れて帰ってきちゃったの?」
「ああ」
 サムの問いにこくりとスティーブが頷く。その間も猫は彼の腕の中でもぞもぞと動いていた。
「だけど、タワーのセキュリティは何も動いてないぞ。猫といえど生命体には反応するはずなんだが」
「猫はタワー内立ち入り禁止かと思って、Tシャツの下に隠していたんだが、そのせいか?」
「Tシャツの下? んん? いや、何から言えばいいのかよくわからないんだが、ジャーヴィスに対してそれはあまりにも意味がないぞキャプテン」
 世界最高レベルのAIに猫がばれないように施した対策がTシャツの下に隠す、であるとか、そこまでして猫を連れて帰りたかったのか、とか、俺は色々言いたいことはあったが、ジャーヴィスに問いかけることを優先することにした。
「ジャーヴィス、キャップが連れ込んだ猫のことだが」
『すみませんスターク様、特に害はないと思われたのでそのままお通ししました』
「なるほどな……」
 ジャーヴィスは、キャプテンアメリカのTシャツの中に居た彼のお供の白い毛玉を感知していたが、タワー内に入ることを特に問題視はしなかったらしい。ジャーヴィスの言葉に満足したのか、「にゃおん」と猫は満足そうに鳴いた。
「それで、その子どうするの?」
 サムが早急に対策を考えねばというような顔をして俺たちに尋ねるが、目は期待できらきらと輝いている。その手は今にもスティーブが抱えている猫の頭にのってしまいそうだった。
「どうすると言われてもだな」
「ジャーヴィスは問題ないと判断したんだろう?」
 スティーブがじっとこちらを見つめてくる。なんだその顔は。初めて見たぞ。
「飼うのは無理だぞ! 俺たちはタワーを留守にする時間が多すぎる!」
「飼うために連れてきたんじゃないんだ。飼い主を見つけるまでの間、ここに置いておくことは出来ないか?」
「ほーん、俺は賛成だぜトニー」
「ぼ、僕も! 飼い主が見つかるまでさ!」
 スティーブの言葉に、クリントとサムが畳みかける。しかし、ここには彼らだけじゃない、ハルクとソーという核爆弾がふたりもいるのだ。彼らと猫は果たして一緒の建物に居ても大丈夫なのか? 俺には自信が無いぞ。
 三人にそう伝えると、クリントが「おーい!」と件の二人に何かを投げつける。それは紙くずだったようで、ハルクの頭にこんっと当たった。
「なんだ?」
 不機嫌そうなハルクがこちらを振り向き、ソーも同じく俺たちを見る。
「キャプテンがしばらくタワーに猫置いときたいらしいんだけど、いいよな?」
「猫だと?」と素っ頓狂な声を上げたハルクは、スティーブの腕の中にいる彼か彼女かまだわからない毛玉を見た。
「猫か!」
 途端、ハルクがでれっと眉尻を下げる。予想外の反応に俺とスティーブとサムが驚いていると、「いいぞ!」と何とも簡単にハルクは頷いた。
「猫か。実はこれほど近くで見るのは初めてなんだ。もちろんいいとも! 名前は何と言うんだ?」
 ソーもあっさりと頷いてしまった。まさかの展開だった。得意げにクリントが振り返る。
「トニー」
 スティーブが再びじっと俺を見る。トニーだなんて、ここ最近めっきり呼ばなかったくせに!
「――わかった。特に駄目な理由もないしな」
 ぱあっとサムの顔が輝く。スティーブの目も心なしかきらきらしていた。
「ただし、世話は君たちでしてくれ。俺は生き物を飼ったことなんてないからな。何の責任もとれないぞ」
「もちろんだ、任せてくれ。ありがとうトニー」
 スティーブが「やったな」と猫に囁き、優しくその頭を撫でる。猫は「みゃあ」と甘えた声を出し、その手に擦り寄っていた。
 ――気に入らない。
もやっと現れた感情は、果たして何に対してのものだったのか。

 

「君がそこまで猫好きだとは知らなかったよ」
 ドアにもたれながらそう言うと、スティーブは振り返らず「私も、実は猫とこんなにふれあうのは初めてなんだ」と答えた。その手を猫がぺろぺろと舐めている。ごはんをもらった後なのだろう。ミルクの入った皿をスティーブが差し出すと、猫はぱっとそちらに顔を埋めた。
「かわいいだろう?」
「……俺は犬の方が好きだ」
 そう言うと、やっとスティーブがこちらを見た。シャワーを浴びた後だからか、前髪がぱらっと額に落ちている。超人血清が体を巡っていても、前髪が落ちていればいつもより幼く見えるのはなんだか不思議だ。
「そうか。君はてっきり……」
 言って、そのまま口にぱふっと手を当てて、スティーブは黙ってしまった。何だ、と片眉を上げると、何でもないと言うように手が振られる。
「何か用か?」
 彼はまた顔を猫の方に向け、俺に尋ねた。ミルクを飲み切った猫は眠そうな顔をしている。猫らしく、実に本能に忠実だ。
「用……あー、この間のことだが、」
 俺は、一週間前の夜のことを話そうとしていた。喧嘩しているのかしていないのか、よくわからないこの状況は居心地が悪かった。謝る気はさらさらなかったが、だからと言って彼に謝ってほしいわけでもない。この間のことが清算されればそれでよかった。だから話題を切り出したのだ。
 なのに、
「それはまた今度話さないか」
 本題にすら入っていないのに、遮られてしまってはどうしようもない。
「スティーブ?」
「飼い主を見つけてからの方がすっきり話せるだろう」
 スティーブはそう言うが、俺は胸のもやが濃くなるだけだった。はぐらかされている。俺たちふたりのことを話したいと言っているのに、何も関係のない猫のことを持ち出すなんて、いつものスティーブならありえない。
 イライラする前に、なんだか変だと思った。
 それが顔に出ていたのか、ふとスティーブが猫の頭から手を離して俺を見る。
「怒ってるのか?」
 単刀直入に、そう訊かれた。
 そしてスティーブは、ドアにもたれている俺のところへ歩いてくる。お互いの体がふれあう一歩手前で、彼は止まった。
「わからない……怒ってはない、と思う」
 本当のことだった。別に、俺は怒っているわけじゃない。もやもやしているのは真実なので、断言はできなかったが。
「自分のことだろう?」
 ふっとスティーブが笑った。いつもと変わらないように見えるが、少し違和感を覚える。
「――君は、怒ってるのか?」
 ふと、そう訊いてしまった。
 ぱちりとまばたきをしたスティーブは、先ほどの笑顔のままつう、と俺の唇に親指をすべらせる。かさついた指先にぴくりと肩が震えた。
「ああ」
 スティーブは、そう言って俺の体のほうへと手を伸ばす。近づいてくる体からボディーソープの匂いがする。パブロフの犬のように反応しかけるが、スティーブは自動ドアを手で反応させて開けただけだった。
「君ももう寝たほうがいい。明日は会社の会議があるんだろう?」
 俺は少し混乱したまま頷いて、素直に部屋を出る。スティーブの「おやすみ」の声のあと、ドアは無音で閉まる。
 大人しく部屋に戻って自分のベッドに腰かけた後、思わず顔を手で覆ってしまった。
(何であんなに機嫌悪いんだ)
 スティーブがあんな風に機嫌を損ねることは珍しい。だからこそ、今日までわからなかった。
 スティーブは怒っている。俺に対して、明らかに。

   ▲▲

 どうやら俺は、彼のプライドを傷つけてしまっていたらしい。そのことに気がつくのに、あの夜から九日必要だった。
 よく考えれば当たり前のことだ。俺のためを思ってのセックスをしていたのに、その俺自身がマンネリだなどと文句を言ってしまったのだから。彼だって男だ。それなりのプライドは持っている。
 だからと言って俺が間違っているわけではない、と思う。スティーブの言う「トニーのため」は、半ば独りよがりだ。セックスはふたりでするものだと言うのなら、俺に気をつかうなという言葉だって正論だろう。
 そんなようなことを考えていると、にゃうっと弾んだ声がした。
 その声の主は言わずもがなあの猫で、スティーブの持つねこじゃらしにぱしぱしと肉球のついている拳を撃ちつけている。そしてその様子をサムがスマートフォンで動画に収めていた。クリント、ハルク、ソーの三人はテーブルでババ抜きをしている。
「はは、元気だな」
「キャプテン、後で僕もいい?」
 元気に遊ぶ猫に笑いかけるスティーブに、サムがわくわくを隠しきれない声で言う。「なんだ、サムも猫じゃらしで遊びたいのか?」とのクリントの言葉にそっちじゃない! と憤慨するサムは年相応か、それより幼く見えた。
「ハルクはいいのか?」
 俺がそう尋ねると、「昨日部屋で鬼ごっこをしたからな」と返された。
データに追加だ、ハルクは猫と鬼ごっこができるらしい。
 サムに猫じゃらしがうつりリビングが賑わうなか、「随分賑やかね」と馴染みの声がした。
「その子が噂のキャプテンの連れてきた猫?」
「お、ナターシャ。久しぶり」
「そうだよ!」
 現れたナターシャに、クリントとサムが声をかける。その間も猫は必死に猫じゃらしと格闘していた。
「用事済ませたら私にも撫でさせて。キャプテン、ちょっと」
「ああ」
 ナターシャがスティーブを呼ぶと、二人はリビングを出て行った。ナターシャって猫好きなの? と訊くサムだったが、彼女が猫を愛でる姿は皆うまく思い描けなかったようだ。
「みゃうっ」
「あっ」
 すると突然、猫が猫じゃらしへの興味をなくして走り去ってしまった。猫はそのままリビングの階段を駆け上がり、先ほどスティーブとナターシャが出て行ったドアにかりかりと爪を立てている。
「あー、キャプテンに置いてかれたと思ってるかな」
「猫とはああも主人に忠実なものなのか?」
 サムが笑い、ソーが疑問の声をあげる。
「そういうわけじゃねーけど、まあ、元からキャプテンについてきたヤツだしな」
 クリントがそう言いながら、ちらりと俺に視線を向けた。
「何だ?」
「まだあいつのこと気に入らないのか?」
 思わず、はあ? と言ってしまった。あいつって猫のことか?
「気に入らないって何だ?」
「だって、動物全般あんま好きじゃないだろ?」
「それはそうだが」
 でもだからって、気に入らないというわけじゃない。……多分。
 そんなやり取りをしていると、シュンっとリビングのドアが開いてスティーブとナターシャが戻ってくる。ドアの開く勢いにころんっと転がってしまった猫を「ん、居たのか」とスティーブは抱き上げた。猫は満足そうにごろごろと喉を鳴らす。
「名前はあるの?」
「いや、つけてないんだ。飼い主が見つかるまでの間だから」
 二人と一匹が下りてくる。その間もスティーブは猫の頭を撫でていた。
 ――気に入らないなんて、そんなことを思っているわけじゃない。たとえ一週間以上俺に深くふれないその手が、猫を愛おし気に撫でていたとしても。

   ▲▲

 その日は、メンバーの大半がそれぞれの用事でタワーを出払っていた。
 だからと言って、残っているのが俺とスティーブだけだなんて思わなかったんだ。
「ん?」
 リビングに下りていくと、微かにすー、すー、と寝息が聞こえた。ソファーに向かうと案の定、スティーブが仰向けになって寝ていた。珍しい光景だ。スティーブがこんなにもあっぴろげに昼寝をしているだなんて。
 そしてその光景をもっと珍しくしているのが、スティーブの胸元辺りでまるまっている白い猫だ。キャプテンアメリカと猫がすやすやと一緒に昼寝をしている。この光景を写真に収めてSNSに投稿でもしたら、とんでもない反応が返って来ることだろう。
 俺はスティーブの頭の横に腰を下ろした。膝を立てて眠っているおかげで、俺一人分のスペースがちょうど空いていた。
 太陽が照らす部屋の中、あんまりにも微笑ましい光景に頬が緩むが、同時にもやっと胸に何かが立ち込める。俺は一度でも、スティーブと一緒に昼寝をしたことなどあっただろうか。
 落ちている前髪を人差し指で払ってやる。が、結局重力に従ってまた落ちてきてしまった。瞼を閉じていると、金色をしている睫毛がとても長く見える。ぽってりとした唇が僅かにあいて、静かな寝息を零していた。分厚い胸板は寝息と一緒に上下して、太い二の腕は片方はソファーから落ちていて、もう片方は猫を撫でるようにして上に優しく置かれている。
 どうしようもなくこみ上げてくるものがあり、だけど、素直にそれを言葉にするのは酷く恥ずかしかった。
 徐々に赤面しているであろう顔をスティーブから背けたかった。しかし、どうしても逸らすことができない。
「スティーブ」と呼ぶのと、右腕を掴まれたのは同時だった。
「っ!」
 驚くと、スティーブがそのまま瞼をあけて俺を見た。起きていたのか、と口にしたはずが、出てきたのは色がついたため息だけだった。
 スティーブはするすると、手を下ろしていく。指先に辿りついたと思ったら、そのままスティーブの口元に運ばれて、ちゅ、と音を立てて唇が触れた。気障だな、なんていつもならからかうのに、今はどうしてか黙ってそれを享受することしかできない。二週間近く、こんなふれあいをしていないのだから。
「ああ、トニー」
 そのまま手のひらにも唇が押し付けられる。舌がぬるりとそこを這った。
「なんて顔だ」
「……――ッ」
 思わず、ばっと手を離してしまった。顔はもう赤面どころじゃなくなっているだろう。
 なんて顔だ、だって? とてもじゃないが、真昼間から見せられる顔じゃなくなってるのは自覚してるさ!
「まだ怒ってるのか?」
 まだ、機嫌が悪いのか。そう訊いたら、やはり「ああ」と頷かれた。
 じゃあ、もうどうしたらいい。こんな怒り方があるか。いっそ思い切り口論してやろうかと思っても、スティーブは俺を避けるばかりだ。不毛すぎる。
「何でだ? 何でそんなに機嫌が悪いんだ」
「君が自分を大切にしようとしないからだ」
 スティーブが俺の手を握ったまま起き上がり、左手で猫を受け止め、そっとソファーに寝かせる。
「君は私が余裕だと言ったが、本当にそうだとでも?」
「違うのか?」
「そんなものあるはずないだろう」
「そうか。俺にはそう見えないんだがな」
 ぐっと上目で目の前の顔を睨むと、スティーブはますます眉間に皺を寄せた。ああ、これじゃあまた繰り返しだ。そうわかってはいるけれど。
「……いつも俺ばかりが、いっぱいいっぱいだ」
 そう言い放つと、ソファーから立ち上がった。スティーブは少しだけ目を丸くしていた気がして、いい気味だと思ってしまう。リビングから出て行こうとする俺を追いかけてくるかと思ったが、にゃう、と可愛らしい鳴き声がした。あの生き物にそう引きとめられてしまっては、俺を追いかけてくることもないだろう。
 そのままラボに行き、アーマーの修理を進めることにした。ジャーヴィスの声に返答するだけなのは楽だ。スティーブとあの猫のやり取りを、想像しないで済む。

   ▲▲

 あまりにも女々しいことを言ってしまったと後悔してももう遅い。
「俺はばかだ」
「トニーがばかだったらこの地球の九十九パーセント以上の人がばかとも言えなくなるよ」
「ばか、比喩だ」
 俺のひとりごとにサムは律儀に答えてくる。ここらへん、少しジャーヴィスと似ている気がする。
 サムと一緒にラボで実験をするのは楽しい。今日はスティーブ、クリント、ナターシャがシールドの用事で出かけている。ソーはアスガルドに戻っているらしく、ハルクは多分あのガラスの動物を受け取りに行っている。
 だから、このラボでにゃんっと聞こえるはずのない声がするのだ。
「サム、ちゃんと見ててくれよ」
「わかってるよ。大人しくしてるよな~?」
 膝にのせた猫に話しかけるサムはでれっと眉尻を下げている。スティーブが居ない今、こうして猫を独り占めできるのが嬉しくて堪らない様子だった。
「猫は鳥を捕まえるものだと思ったが……」
「ちょっと、それどういう意味」
 サムがむっとすると、その頬をぺしっと猫がつついた。鳥だと言ったことがわかったのだろうか。
「あ、そういえば。ねえトニー見てよ」
「何だ?」
 作業が一旦一区切りついたのを見計らって、少し離れたところで座っていたサムが近寄ってくる。
「ほら、ベストショット!」
「な、」
 スマホが目の前に掲げられ見せられたのは、
「すごいラブラブだよね」
 キャプテンアメリカのスーツを着たスティーブと猫が、ちゅっとかわいらしくキスしている写真だった。
 猫の不意打ちだったのか、スティーブは目を丸くしている。サムに抱っこされたままの猫は話題にされていることなど知らんぷりで、サムの肩に足を掛けよじ登ろうとしていた。
「かわいいでしょ? 飼い主探してますってこの写真と一緒にSNSにあげたらすごい反応がくると思わない?」
「……ああ、そうだな」
 なんというタイミングだ。はは、と乾いた笑いになってしまった。
「キャプテンがあんなに猫にでれでれするなんて思わなかったな。犬好きなのは知ってたけど」
「え、そうなのか?」
「へ?」
「……いや、何でもない」
 スティーブが犬好きだとは知らなかった。いや、好きそうではあるが本人の口から聞いたことはない。
(だめだ、また変な方向に向かってる)
 またしてもずぶずぶと沼にはまってしまいそうでだめだった。堂々巡りだ、いつまでもこんなことが続いていてはだめだ。
 ――そうだ、こんなに長いこと無駄に悩んでどうする。悩んだからには打開策を見つけなければトニー・スタークの名が廃る。
 そうだ、俺はトニー・スタークだ。と、何とか自身を奮い立たせた。
「なあサム」
「なに?」
「キャプテンは何であんなにこいつにでれでれするんだ?」
 そう聞くと、サムはぱちくりと瞬きをした後、「うーん」と少し考える素振りを見せた。
「かわいいからじゃない?」
「それだけ?」
「キャプテンなら、そうだなあ、庇護欲とか責任感もあると思うけど、でもやっぱりかわいいのが一番じゃない? こっそり連れて帰ろうとしたくらいだし」
 ついにサムの肩にのぼりつめた猫が、みゃうと可愛らしく鳴く。あのキャプテンアメリカを可愛らしさで陥落させたこの猫は、なるほど確かに、この世の愛くるしさを具現化したような生き物だ。
「あとは――」
 ちらっとサムが俺に視線を寄越す。
「なんだ?」
「……なんでもない!」
 怪訝に思ったが、問い詰める前にサムの肩の猫がするっと下におりてくる。慌ててそれを受け止めたサムに、俺はつい訊いてしまった。
「サム、キャプテンは猫なら何でもかわいがるだろうか?」
「かわいがるんじゃないかな? キャプテンだし」
 そうか、と俺は満足げに頷いた。あくまでサムの意見だが、有意義なことを聞けた。
「あともう一つだけ聞きたい。俺に似合うのは白か黒か?」
「今日はどうしたのトニー? うーん、トニーならやっぱり黒かなぁ」
「ありがとう、いいことを聞けた」
 サムが不思議そうにしているが、頭の中で考えていることはとてもじゃないが言えない。
 猫が俺の方を見てにゃうと鳴いたので、俺も「練習」がてら、口だけでにゃう、と返した。

   ▲▲

 どうしてこうなってしまったんだろう。
 メンバーに囲まれながら後悔するが、全く持って意味のない後悔だった。そもそも後から悔やむなんてこと自体が無駄なのだが、それでも今までは次へ次へと新たな糧にするために奮闘することができた。
しかし今回だけはそんな気も起きない。空回り具合が酷く自分でも笑ってしまいたかったが、それすら億劫なほど滑稽だった、自分が。
「かわいいぜトニー」
「ありがとう」
「その、なんだ。黒がいいな、似合うよ」
「……クリント」
「なんだ?」
「笑いたかったら笑ってくれ、その方が俺としてもありがたい」
「……――ブフッ」
 それをきっかけに、クリントが爆笑し始めた。サムとナターシャはぷるぷると震え、ソーはにこにこと笑顔を見せている。
「と、トニー、ぶふっ、どうしてそんな、ふふっ、ことに」
「サム、笑うなら笑え」
「かわいいわよ」
「ありがとう、知ってる」
 笑いを堪えようとしている二人に淡々と返すが、恥ずかしい気持ちはまだ拭えない。自分にまだこんなにも羞恥心が残っていることに驚いたが、そもそも今までこれと似たような状況に嵌ることなんてなかったのだから当たり前だった。
「へえ、感情の機微でちゃんと動くようになってるのか。流石よく出来てるな、トニー」
 ソーに褒められるが全く嬉しくなかった。
――いや、技術を褒められたのは少し嬉しかった。まあ、まんざらでもない、うん。
「……どうしてそんなことになったんだ?」
 先ほどからぽかんとしていたハルクが至極真っ当な質問をしてくる。こういうところがあるよなハルクは。そして今は、そんな真っ当な質問が一番辛い。
「ああー、ちょっとした研究の一環で、まあ、その、ちょっとしくじったんだ」
「スターク」
 自分でも苦しい説明をすると、ソファに座って険しい顔をしたスティーブに遮られた。
 そして何故か俺の頭の上にいつの間にかのってきた猫が「それ」にぴしぴしと肉球を撃ちつけている。ちゃんと感覚があるから痛いんだぞそれ。お前にも同じものが生えているんだからわかるだろうに。
「どんな研究をすれば、君からその猫の耳と尻尾が生えるようになるんだ」
 スティーブがミーティングの時と同じ口調で詰問する。
 俺は自分の頭に生えている耳と、尾骶骨辺りに生えている尻尾をぴこぴこ動かしながら、「説明が難しいんだ」と言い訳をした。
「この間、動物たちをキメラにしてしまうやつがニューヨークに来ただろ?」
「ああ、あの頭やばい奴」
 クリントが言うように、道行く動物をどんどんキメラにしてしまう頭のおかしなヴィランが約一か月前にこの街にやって来た。アベンジャーズが出動してあまり被害を出すことなくそいつを捕まえることができたが、その凶悪犯なのか愉快犯なのかよくわからない奴に俺たちやシールドは少々戸惑った。
「あいつの特殊能力を研究するために、ここ一か月ぐらい、シールドに呼ばれてたんだ」
 全く持って間抜けとしか言いようがない事情を話し始める。
 そのヴィランの能力は凄まじく画期的なものだった。専門的なことは省くが、その能力を利用して変化させた動物の遺伝子を人間に打つと、あることができるようになると俺は踏んだのだ。
「そのあることって……」
「――人間が、他の動物に一時的に変態出来るようになると考えた」
 サムの言葉を引き継ぎそう言う。俺の言いたいことを察したサムは、いかにも哀れな目でこちらを見つめてきた。
「つまりどういうことだ?」
「トニーは、もしかしてその変化させた猫の遺伝子を自分に打ったんじゃない?」
 クリントの疑問にサムが答える。完璧なその回答に俺は何も言わなかった。それを肯定だと悟ったメンバーはそれぞれが思い思いの反応をした。
「あーあー! そんな目で見てくれるな! そうだ、あいつの能力で猫になれるかと思ったんだ! それが失敗してこんな中途半端な姿になった、説明は以上!」
 突然の大きな声に驚いたのか、頭上の猫はぴゃっとそこから飛び降りた。そしてソファーに腰かけるスティーブの元へと駆けていく。無造作にそれを抱き上げたスティーブは、「なぜそんなことを?」と眉を顰めて疑問を口にした。
「……理由なんて何でもいいだろう。試したくなっただけだ」
「どんな危険があるかわからないのに、そんな簡単な理由で?」
「危険がないことは俺が一番よくわかってる」
「でも現に、君はそんな姿になってしまっているじゃないか」
 そんな姿? との言葉にかちんとくる。俺とスティーブの言い合いが始まることを察したのか、他のメンバーは俺たちふたりから距離を取り始めた。
「そうか悪かったよ、こんな見苦しい姿を見せて」
「そうじゃない、ただ、もっとよく考えてほしいだけだ。そのヴィランの能力だって何が起きるかわからないのに、」
「で、結局何でトニーは猫になんかなろうとしたんだよ?」
 白熱しそうだった俺たちを遮ってクリントが疑問を投げかけた。俺はまたしても言葉を詰まらせてしまって、メンバーの注目を浴びることになった。
「そ、れは、」
「うん」
 クリントが頷き先を促す。こういうところで変に面倒見のいいやつは厄介だった。
(どうする……)
 こうなった時の状況は考えていなかった。まさかメンバー全員に対して説明をする羽目になるとは。
 すると、にゃあ、となんとも気の抜ける可愛らしい声がした。
「…………」
「トニー?」
「あいつの遊び相手になろうかと」
 咄嗟に思いついた言い訳は、五歳児でももっとマシなことを言うんじゃないかってぐらい、滑稽なものだった。
 案の定、メンバーは皆ぽかんとしていて、スティーブに抱えられた猫だけがぺろぺろと前足を舐めている。
「な、何でまた?」
「あいつの周りには俺たち人間しか居ないし遊び足りないかと思って。現によくタワー内を走り回ってるじゃないか」
「まあそうかもしれないけど」
 サムが何とも微妙な顔をしているが、俺はこれ以上説明するつもりはない。それを察したのか何なのか、スティーブがはあ、と小さくため息をついた。
「あまりにも無茶苦茶じゃないか?」
「……うるさい」
 むすっと返したが、俺もそう思っているから強く言い返すことはできなかった。
 スティーブの膝の上で気持ちよさそうに丸まる猫を見やる。くあっとあくびをするその様子に、こんなはずじゃなかったのにと顔は浮かなくなるばかりである。
「トニー」
 ふと名前を呼ばれ、その声の方を振り返る。ソーが何かうずうずした様子で俺を見ていた。
「な、何だ?」
「その猫の耳なんだが――」
 すたすたとこちらにやって来たソーに怪訝な顔をするが彼はそれを意にも介さない。神様は俺の頭にすっと手を伸ばしてきたかと思えば、髪に触れる直前でその手をぴたりと止めた。
「触ってみてもいいか?」
「へ?」
 ソーの突拍子もない「お願い」に、俺も突拍子のない声を出す。そんな俺の心境に合わせてか、頭の上の耳がぴこっと動いたようだった。
「別に構わないが……?」
「そうか!」
 承諾すると、ソーの手がにゅっと伸びて来て耳に触れる。その勢いに似合わず優しくきゅむっと先が摘ままれた。
「おお、本物と変わらない感触だ」
「よく出来てるだろう?」
「ああ。さすがスタークだ!」
 ソーはこんな時、屈託なく俺を褒めてくれる。褒められたら誰だって悪い気はしない。先ほどまでの悶々とした気分が少し晴れやかになったようだった。
「と、トニー、僕もいい?」
「ああ」
 恐る恐る尋ねてきたサムにも頷く。さっきまで憐みの目で俺を見ていたのに、この耳と尻尾には興味津々らしい。まあこれは最先端テクノロジーの塊のようなものだから、サムが興味を持つのも当然か。
「わぁ。柔らかい……!」
 ほあっとした顔を見せるサムに思わず吹き出してしまった。相変わらず素直なのだ、この若者は。
「ハルクも!」
「俺も!」
「…………」
 ハルクとクリントは名乗りを上げて、ナターシャは無言で俺の頭に手を伸ばし、耳に触ろうとする。なんなんだ、あれだけ白けた目で見ときながら、皆実は気になってたんじゃないか!
「トニーの方はどうなんだ? 触られてるのわかんのか?」
「わかるぞ。本来の耳が触られてる時とは少し違うが――まあ、これは体験してみないとわからないだろうな」
「くすぐったい感じ?」
「それに近い」
 触られるたびに猫の耳が動くのが面白いのか、五人はわちゃわちゃと俺の耳で遊んでいる。俺の尻辺りから生えた尻尾は大きくゆっくり動いていた。
 ――ふと、スティーブが立ちあがるのを目にした。それに驚いたのか、猫が慌ててスティーブの膝から降りる。
「キャプテン?」
 サムが目ざとく声をかける。猫は床に降り立ったものの、スティーブの足元でウロウロしていた。
「トレーニングへ」
 シンプルにそれだけ返したスティーブは、そのまま踵を返して階段を上がっていく。猫は結局そんなスティーブに着いていくことはなく、俺たちの輪の中へと入りたそうにしていた。
「何だ、触ってけばいいのに。もったいねーの」
「俺の耳はおもちゃでも何でもないぞクリント」
 ぐりぐりと耳を弄繰り回しているクリントにそう言うと肩をすくめられた。
 スティーブが踵を返す前、ちらりとこちらに視線を寄越された気がした。それが何を言いたかったのかはわからなかったが――良いことではないだろうことは確かだ。
 ……正直。この研究に失敗した時は頭を抱えたが、この間抜けさに笑ってくれないだろうかと、期待していた。もう随分と、俺に向かって笑うスティーブの顔を見ていない。だからもしかしたらこれがきっかけになるかもしれないと思ったが。
(これもだめか)
「トニー?」
 俺の心境に合わせてか、耳も尻尾もたらんと垂れた様子に皆は驚いたようだった。
「えっ」
「急にどうした?」
「な……んでもない」
 そうは言ったものの、いくら言葉で誤魔化してもこの耳と尻尾は正直だった。それが恥ずかしかったが、不思議がったメンバーに撫で繰り回されて、これが猫の本能なのか何なのか、俺は悪い気はしなかった。
 足元でにゃぁんとか細く鳴く声がする。撫で繰り回されている俺に嫉妬したのか、猫はメンバーの周りをちょこちょこと歩きまわっている。それを見かねたハルクが抱き上げれば、俺の視線と同じ高さにそいつはやって来た。
「お揃いだな」
「みゃあ」
 鼻を突き合わせて言うと、ぺしっと肉球で攻撃されてしまった。
 それを見て笑うメンバーに毛を逆立たせたが、逆にまた撫で繰り回されるだけだった。

 

「……どうした?」
 濡れた髪をタオルでがしがしと拭きながらシャワールームから出てきたスティーブに、俺は思わず縋るような目を向けてしまった。
 尻尾は垂れさがり足の間で震えている。耳もぺしょりと潰れたようになってしまっていて、俺は何が何でも今の自分の姿を鏡で見るわけにはいかないと決意を固くした。
「……?」
 怪訝そうな顔をしたスティーブが微かに濡れた手をこちらに伸ばしてくる。それにびくりと毛を逆立たせれば、ああ、と納得がいったように言われた。
「水が怖いのか?」
 それを不満に思いながらも、こくりと素直に頷く。嘘をついたとしても、この耳と尻尾がついているんじゃ話にならなかった。
「一日ぐらいシャワーを浴びなくてもいいんじゃないか?」
「……浴びたいんだ」
 提案してきたスティーブにむすりと返せば、またしてもはあ、とため息をつかれた。面倒くさいのは自分でもわかっているが、非常事態でもない限りはシャワーを浴びないと寝られない。
 だがしかし、猫のこんな特性までも受け継いでしまったのか、今の俺は水が怖かった。共用のシャワールームの前でどうしようかとうろうろしていたら、今さっき浴びたばかりであろうスティーブが出てきたのだ。それにほっとしながらも、濡れた髪やらなんやらを目にしてしまうとどうしても体がすくんでしまう。
猫とはこんなにも大変な思いをしなければならない生き物なのか。猫になんてならなければよかった。いや、猫になるのは失敗したんだが。
「そんな風によくわからない研究に手を出すから、」
「説教なら聞きたくない」
 お得意のスティーブの説教が始まるのを遮ってそう言うと、目の前の男はため息をつこうとしてぐっと堪えたようだった。
こんな姿を見せるために来たんじゃないと、シャワーを浴びるのは諦めて踵を返し大人しく自室に帰ろうとする。
「トニー」
 しかしふと、名前を呼ばれた。振り向くと、スティーブがふっと笑っていた。
(あ、)
 久しぶりに見る笑顔に、嬉しくなった。
 だから、
「私の部屋で一緒に入るか?」
 その言葉に、生えてしまった耳と尻尾をぴんっと立たせながら、深く考えることもせず頷いてしまったのだ。
 部屋へと向かうスティーブの後ろをとことこ着いて行く。何故かスティーブの笑顔を見て舞い上がってしまった俺は、その最中もこれで安心だなどとのんきに考えていた。
 ――それがどれだけ恥ずかしいことかなんて、思いつきもせず。
「……――」
 てきぱきと裸にされて、バスルームに放り込まれた。バスタブに湯も溜められていないここは湿気もない。だからそういう意味で怖がることは何もないのだが、自分もTシャツを脱ぎ始めたスティーブにぎょっとしてしまったのだ。
「君も脱ぐのか!?」
「脱がないと入れないじゃないか」
 不思議そうに言うスティーブにそりゃそうだと思ったものの、なぜか俺は服の裾をまくったスティーブが、それこそ本物の猫にするように俺を洗ってくれると思い込んでいたらしい。
「別に恥ずかしがるような間柄じゃないだろう?」
 慌てている俺にスティーブが苦笑してみせる。
 そりゃあ、今更裸を見て恥ずかしがるような関係じゃないが――別の意味で、全裸で一緒にシャワーを浴びたら、耐えられないだろう。主にそういう部分が。だって二週間もそういった意味合いのふれあいをしてないんだ!
 そんな俺を意に介することなく、全ての服を脱いだスティーブもバスルームに入ってくる。先ほどシャワーを浴びたばかりだったので、その髪はまだ濡れたままだった。均整の取れた美しい体を見て、思わずぼおっとする。盛り上がった胸筋も、見事に割れている腹筋も、丸太のように太く隆々とした二の腕や太腿も、もうすっかり見慣れたものだけれど――。きゅうっと小さく喉が鳴ったことに、スティーブは気がついただろうか。
「ほら」
 シャワーヘッドを手に取りながら、俺に向かって左手を差し出す。しかし俺はそこから溢れ出る水のことを想像して身を竦ませていた。
「トニー」
「…………」
 どうしても動けないでいる俺に、ふむ、とスティーブが考える素振りをする。
「ここなら怖くないか?」
 そう言って、スティーブは空のバスタブに入り腰を下ろした。俺はきょとんとしながらも、その狭い場所ならなんとか落ち着けそうだと、そっとバスタブに足をかけた。大人しくそこに入ったもののどうすればいいかと所在なさげにする俺に、再びスティーブが手を伸ばしてくる。
「おいで、トニー」
 こんなに優しい声、久しぶりだ。
 きゅうっと心臓が掴まれた心地がする。俺は素直にスティーブの手に体を委ね、その足の間にスティーブに背中を向ける形で腰を落ち着けた。大の男がふたり入っても狭くないこのバスタブは、俺がそう設計したのだった。
「洗うぞ」
 宣言されて、ぎゅうっと目を瞑る。シャァッと柔らかい勢いでかけられた水にびくんっと大きく体を震わせたものの、ぽんぽんと優しく頭を撫でられる。それが続けられて、強張っていた俺の体は次第に弛緩していった。背中の後ろの体温も心地よく、段々とリラックスしてくる。
「どうだ?」
「悪くない……」
 なぜか、くすっと笑われた。
 水が止められシャンプーで頭を洗われる。それは自分でできると言おうとしたが、スティーブの大きな手が頭を包むようにして洗っていることに、心地よさを覚えてしまった。目を瞑り大人しくそれを享受する。気持ちよくて眠ってしまいそうだ。
 が、
「……ッ」
 思わぬところに手がふれて、びくっと体が震えた。
「な、」
 かしかしとスティーブの手がかいているのは、頭から生えた黒い猫耳だった。
「おい、そこは大丈夫だから、」
「でもここも洗わないと落ち着かないんじゃないか?」
 頭を洗う時よりももっと手加減された力で耳がくすぐられる。時折毛並を逆立てるような動きにぞくりと何かが背筋を這う。指が耳の中に入って来た時は、思わず変な声が出てしまいそうだった。
「スティーブ、もういいから、っぶ、」
 と、シャァッと今度は何の前触れもなしに水をかけられた。それにぞわわっと鳥肌を立てていると、トニーと柔らかく名前を呼ばれる。
「怖くないだろう?」
 そう言って、猫の耳を摘まんできた。ぴくんっと動いたそれが面白かったのか、スティーブはこねるようにして遊ぶ。
「ば、も、遊ぶなよ」
 喋ると水が口の中に入ってくるのでまともに文句が言えない。スティーブはそんな俺の様子に気がついているのかいないのか――いや確実に気がついていると思うが――そのまま耳を弄っている。
 そおっと親指で毛並を逆立たせ、そのままくにゃんっと前にたたまれた。何とか声は留めたものの、体が小さく跳ねるのは抑えられなかった。
「スティーブ……ッ」
 きゅっ、とシャワーの水が止まった。いつの間にかシャンプーが洗い流されていたことにきょとんとする。
「気が紛れただろう」
 振り返る俺にスティーブがそう言った。耳を弄られることに意識が持っていかれて、水を怖がる暇などなかったのだ。
「あ、ああ」
 さっきのはこの男なりの気遣いだったのか? と思ったが、依然としてその手は猫耳に添えられたままである。
 顔だけ振り返ったままじっとしていると、ふむ、とスティーブが両手をそこに添えた。
「ッ!」
「本当に、猫の耳なんだな」
 両耳をくにくにとこねるスティーブは満更でもなさそうな声を出す。俺はというと、その手つきになぜか落ち着かないものを覚えてしまって、そわそわと体を揺らしていた。
 昼間、サムたちに触られていた時は何ともなかったのに。たった一人の、スティーブの手がふれるたびにびくっと体が反応してしまう。
「スティ、や、」
「……」
「ふ、……ぅ」
 は、と段々吐く息が熱くなってきた。何だこれはと頭も熱くなってきて、身に覚えのありすぎる感覚に、俺はぎゅうっとバスタブの縁を掴んだ。
 しかし突然、するりと耳の中に指を入れられて、かりかりと擦られた。
「みゃ、ぁ、」
「っ、」
 すると、いとも自然に出てきたその鳴き声に、ぴたりとスティーブが動きを止める。
「――ふ、ぁ……?」
 俺は先程自分が出した声を認識はしたものの、現実のものとは受け入れられないでいた。
「……? へ――?」
 混乱する俺をよそに、スティーブはまたしても耳の中をくすぐる。今度は、両耳を一緒に。
「みゃっ! ゃ、あ、」
 言い逃れのできない、その猫の鳴き声に、かあっと瞬く間に顔が火照ってきた。
「トニー」
 どこか熱の籠った声が耳元で囁かれる。猫の耳とはまた違う感覚に、またしてもふるりと震えてしまう。
「体を洗っても――?」
 俺はその声に反対することなど出来るはずもなく、小さくこくりと頷いた。

 

「ふ、ぅ」
 ぴんっと胸の粒を弾かれて甘い息が漏れる。
 隅々まで体を洗われた後、くたりとした俺の体をスティーブは自分のベッドまで運んだ。横たえた体に、スティーブが覆いかぶさってくる。スティーブの使うボディーソープの匂いをさせる肌を確かめるようにして、首筋に顔を埋めてきた。そこを舌で舐められながら胸を弄られるのに、俺は弱かった。
「あ、あ、スティーブ」
 くりくりと強めにつねられて、思わず腰が大きくはねた。久しぶりのふれあいにただでさえ敏感になっているのに、先ほどまで念入りに体中を洗われていた。もうすっかり準備ができているこの体は疼きが増していくばかりだった。
 それなのに、
「ひんっ!」
 尾骶骨辺りから生えている尻尾の付け根をきゅっと握られる。そのままこしこしと指でさすられれば、未知の感覚にあられもない声が出てくるばかりだ。尻を洗われている時にそこも感じるのを見つけられてしまって、まるで面白がるように弄られた。抗議をしようにも、力では敵うはずもないし、声は甘いばかりだしで、俺はただひんひんと喘いでばかりいた。
「いい声だトニー」
「にゃ、ぅ、や、あ、あ……ッ」
 時折漏れる猫のような鳴き声が恥ずかしくてたまらない。自分の体を弄繰り回している男にこんな、媚びるような鳴き声を。
「ぁ、みゃぁ、すてぃ、……すてぃ、ぶ」
 目の前の肩に辛うじてしがみつく。気のせいか、爪までも猫のように鋭くとがっているようだ。普段なら痕すらつかないスティーブの肌に、少しだけ赤い線が残った。
「あ、」
 それが嬉しくて、思わずほうっと息を吐いた。ぎゅうっとしがみつけば、その分スティーブに自分の痕がつく。
「こら」
 わざとそうしたのがばれたのか、叱るように尻尾を強く握られた。その刺激に力の抜けた両手はぱたりと頭の横に落ち、うう、と悔し気にスティーブを睨み上げることしかできなかった。
「意地、が、わるい」
「君のせいだ」
「なにを、――っひ、」
 かぷりと膨れた乳首に噛みつかれた。湿った舌の感触が下りてくることはなく、ただ歯で挟まれているだけ。
「や、スティーブ」
「ん?」
 ちら、と上目で視線を寄越されたので、小さく口を開ける。舐めてくれと素直に強請るつもりだった唇はしかし、胸から離れたスティーブのそれに塞がれてしまった。
「んぅ」
 思いがけないキスのタイミングに、トニーは目を丸くした。ぬるりと侵入してきた舌はここではなく、胸で今もぴんと立っているそこに欲しかったのだが――それでも、二週間ぶりの深いキスは嬉しかった。気持ちいい。ああ、だけど、スティーブの肌に擦られている胸が疼いているのも確かだ。
 ……いつもと違う。流れも、呼吸も、リズムだって。くちゅくちゅと咥内をかき回されながら、そんなことをぼおっと考えていた。
普段なら、俺のして欲しいことを察して、物欲しげに立つその飾りに舌を這わせてくれただろう。だけどスティーブはこうして俺と舌を絡ませている。焦らされるのが苦手な俺に、普段の、以前のスティーブなら、キスしながらそこを触ることもしてくれただろう。
「う、んん」
 舌を軽く噛まれて、俺は我慢が出来なくなった。両手を恐る恐る自分の胸に持っていこうとする。しかし、目ざとくそれを察したスティーブが、俺の両手を絡めとっていってしまった。
「あ、ゃ、なんで」
 そのまま頭の横で手を繋がれてしまった。ゆったりと舌を絡ませて、唾液を注ぎ込まれ、両手を深く繋いで。傍から見たらなんと甘い恋人同士の戯れだろうか。しかしもう、バスルームで体の隅々まで洗われて、そんな段階など過ぎ去っているのだ。しかも二週間ぶりの情事だ。早く決定的な刺激が欲しい。焦らされるのは嫌いだ。だから。
「スティーブ、スティーブ」
 ふいっと顔を逸らし唇から逃げる。そのまま胸を押し付けるようにして名前を呼ぶと、目の前の男の喉が鳴った。
 なあ、待ちかねてたのは、俺だけじゃないだろう。
「――君に言われて、考えてみたんだ。君はどうすれば満足するのかって」
 ベッドの中でしか聞くことのできない、掠れた低い声でスティーブがそう言う。その声に腹の奥を疼かせながらも、俺は大人しくスティーブの話を聞いていた。
「余裕なんてないんだ、トニー。でも君は、そう言っても満足しないだろう?」
「スティーブ……?」
「だから――君にわかってもらうことにした」
 へ、と間抜けな声を出すのと同時、突然腕を引っ張られて体を起こされる。
「わっ」
 スティーブの胸にぽすんと受け止められて、俺は突然変わった視界に少し混乱した。
「スティーブ何を……? ――みゃっ!?」
 するりと、下から上まで一気に尻尾を撫で上げられた。突然のことに口をおさえる暇もなかった。
あまりの刺激にびくびくと体を震わせていると、少し距離をとったスティーブが、俺の両手を取り黒く艶々とした尻尾を握らせた。
「すてぃ、ぶ?」
「トニー、大人しくしててくれ」
「な、なにを――ッ!?」
 スティーブは、尻尾を握る俺の手ごと片手で包み、その先を俺の尻へと向かわせる。
 まさか、とその先を察して手を離そうとしたが、たとえ片手といえどもスティーブの手は振り切れなかった。
「や、スティーブ、やめ、」
 スティーブのもう片方の手は、洗われたことでぷくりと縁が膨れているそこに向かう。指でそこをくぱ、と広げられたせいで、バスタブの中で仕込まれたローションがとろりと垂れてきた。
「あ、あ、」
 つぷ、と先端が埋まる。びくんっと大きく跳ねた腰に構わず、スティーブの手はそのまま尻尾を俺の中に埋めていく。
「……ッあ、あぅ」
 ず、ず、と比較的細い尾は大した抵抗もなく中へ中へと埋まっていく。腸壁が未知の物体に擦られるのと、尻尾がきつくぎゅうぎゅう締め付けられる感覚に、俺の頭はキャパオーバーになりそうだった。尾骶骨から腰に、腸壁から腹の奥へ、湧き出る快感が四方八方に伝染していく。
「や、……――ッ!」
 ついに前立腺が先端でふにゅりと潰された。立ち上がった前からはとろとろととめどなく先走りが溢れている。裏筋に伝う感覚にも快感が過ぎった。
 スティーブの手はそこで止まり、俺の手や尻尾も解放された。しかし俺はわけのわからない快感に、尻尾を握った両手を放すこともできないでいた。
「んん、……ぁ、う、」
 目元を撫でられて思わず擦り寄る。縋るようにして目の前の顔を見ると、ふ、と口角が上がった。
「君がするのを見せてくれ、トニー」
 始めは、スティーブの言うことがわからなくてぽけっとしていた。しかし、再び尻尾を掴む両手が握られて軽く抜き差しされる。
「あ、ぁ、」
「君がひとりでしているのを見たい」
 耳元――本来備わっている方の――で掠れた声で囁かれて、俺はぶわぁっと体中の血が沸騰するかのような心地がした。
「っ、あ、ぅ、」
「トニー」
 猫耳をさらりと撫でられる。それだけで俺は口から涎を零していた。甘やかすような手つきとは裏腹に、この男が求めてきたのはあまりにも羞恥を伴うものだ。
 だけど。
「こ、これ、」
「うん?」
「いれれ、ば、いい――?」
 少しだけ上にある瞳を下から伺うようにして問えば、満面の笑みが返ってきた。
「ああ。出来るな?」
 スティーブの時折見せる父親のようなそれに、俺は昼も夜も弱いのだ。
 恐る恐る艶やかな尻尾に手を伸ばす。自らの尻尾が思った以上に手触りが良いことを、こんな形で知ることになろうとは。
「う、ふぅ、……ッ」
 入口辺りで止まっていた尻尾の先端が少しずつ奥に侵入してくる。自分の指以外で初めて味わう己の腹の中は想像以上に熱かった。
 ずちゅ、ぬちゅ、と酷い音が部屋に響く。情事の音に赤面するほど純情なわけではない。だけれども、スティーブが目の前で俺をじっと見つめていなかったら、の話だ。
「あ、あ、」
「こら、止めるな」
 ぴしゃりと言われてしまって、思わずびくんっと体が震えた。いつものトレーニングと変わらぬ言い様に奥が疼いたのは気のせいだ。気のせいに違いない。
「集中するんだトニー」
 厳しい。さっきはあんなに、こちらが蕩けてしまいそうな笑みを見せてくれていたのに。
 腸壁をくすぐる毛並にぞわりと快感の鳥肌を立てる雌の感覚と、ぎゅうぎゅうと締め付けてくる自分の中を未知の尻尾で自ずから味わう雄の感覚に、頭の中がパチパチとスパークしている。許容量を超えそうな気持ちよさに、自らの意思とは関係なく涙がじわりと滲んできた。
「うぁ、や、な、なんで、だぁ」
「君がマンネリだと言ったからだろう? 私はとても楽しい」
 そりゃそうだろうな! と喚きたくなったが、唇から出たのは残念なことに、蕩けきった喘ぎ声だけだった。
 耳がスティーブによって撫でられる。そしてそのまま穴に指を入れられくすぐられると、ふにゃあと体が弛緩してしまう。
 マンネリだと詰った俺が悪いのか? そうなのか? 俺がそんなことを言ったから?
「常々思っていたんだが……やっぱり、君の声は猫に似ている」
「んぅ、ふ、みゃ」
 それは今、俺が猫耳と尻尾を生やしているからじゃないのかと思ったが、喉から実際に猫の鳴き声のような音が漏れてしまってはもう何も言えなかった。
「……う、ッあ、ァ」
「どんな感じだ?」
「スティーブ、や、」
「言えないのか?」
「ひッ!」
 ぎゅうっと強く乳首をつねられ、爪を立てられ、裏返った声が喉から飛び出た。
「や、ぁ、スティーブ、すてぃーぶ」
 その手を止めようとしても、尻尾を握っている両手に手を重ねられて叶わなかった。相変わらず強い刺激を与えられている胸と連動するかのように、狭い中もびくびくと震える。
「トニー」
 途端、起き上がっていた体が再びベッドに押し倒される。マウントを取るようなスティーブの行動に、言わなければ、との気持ちが逸った。
「あっ、な、なか」
「うん」
「あつ、い、……――ッうぁ」
 スティーブの目がきゅっと細くなる。普段はあまり見ることのない、まるで肉食獣のようなその表情に、キスがしたいと思うものの体が言うことを聞いてくれない。
「それだけか?」
「ぅ、せま、くて、ァ、あ、――っ、ぎゅう、って、」
「トニー?」
「……ッ、も、んんッ、わ、わかんな――ッ!」
 一生懸命言葉にしようとしたものの、舌がまるで動かないし、言語中枢だってもうばかになっている。
 どうしようもなくなっていると、突然、ずりゅうっと、スティーブの手によって尻尾が引きずり出された。
「……――ッ! ッ、」
 尻尾に纏わりついていた中が思い切り擦られて、知らず内に前から精液が噴き出される。突然の暴力的な快感に目の前が真っ白に染まった。
「あ、ぁ、」
 ぴく、ぴく、と震える体を宥めることができず、必死にシーツを両手で掴む。後ろはまだ尻尾の形に開いているような心地がして恐ろしかった。
「すてぃ、ぶ」
 定まり切らない視界の中、近くにいるはずの男を探す。本当はシーツなんかじゃなくて、肩に、背中に、しがみつきたかった。
 しかしスティーブは俺に覆いかぶさってくることはなく、引きずり出したばかりの尻尾の先端を弄っていた。限界にまで敏感になったそこを指でくりくりとくすぐられて、体の疼きを収めたいのに、結局またこうして悶える羽目になっている。
「やだ、スティーブ」
「トニー」
「も、はなし、」
「気持ちよかったか?」
 その途端、何かが自分の中で弾けた気がした。
「あ……」
 ――いつもなら。
 先に達した俺の腹に飛び散った精液を拭いてくれる。自分だけじゃなく、俺にもスティーブを触らせてくれる。俺は焦らされるのも、言葉にするのも苦手だから、ことあるごとにスティーブはキスしてくれるのだ。
 だけど、今日は全く違った。
「……ッ、ごめ、」
 瞳にたまっていた涙がついに決壊する。ぽろ、と零れたそれと同じように、言葉も唇から空気へと落ちていく。
「え?」
「ごめ、なさ、」
 目を伏せて、しゃくり上げるように言う。別に泣きたいわけでもないのに、神経と感情が昂ぶって、涙腺がほろほろと弱くなってしまっていた。
「トニー?」
「ごめんなさ、スティーブ、おれ、おれが――」
 あんなこと言ったから。
 スティーブは目を丸くして、俺を見下ろしていた。その表情を見るのが怖くて、目を伏せたままでいる。
「や、スティーブ、おこ、おこらな、で、」
 頭から生えた耳はしんなりと垂れて、潤滑油やら腸液やらで濡れている尻尾は、ゆらりと蠢いて俺自身の太腿に巻き付いていた。体が自然と縮こまっていく。こんな風に泣いてスティーブを困らせたいわけじゃない、弱々しくなっている自分が恥ずかしい。なのに。
「トニー」
「う、ぅう、」
「…………」
「すてぃ、すてぃー、ぶ」
「……――落ち着いてくれ、ほら」
 さら、と、額に落ちた前髪が指で優しく払われる。
 そのかさついた、硬い指の腹に、硬く縮こまっていた心がほわりと温かくなる。
「深呼吸だ」
「ぁ……」
「トニー」
 涙を拭われ、そっと心臓の辺りに手が添えられる。ばくばくと忙しなく音を立てていたそこは、次第にゆっくりと落ち着きを取り戻していく。
「う……――」
「……怖かったか?」
 スティーブの顔が近づいてきて、そう訊かれた。経験したことのない感情の渦に呑み込まれてわけがわからなくなっていたが、怖かったかと訊かれたら、多分、それが一番近い気がした。
 こく、と小さく頷くと、スティーブはぐっと喉を鳴らした。
「ああ、トニー、すまなかった」
「スティーブ?」
「……そんなにも、猫の影響を受けているんだな」
 そおっと頭の上の耳に手を伸ばされ、優しく全体を撫でられた。先ほどまでのぞわぞわした感覚ではなく、柔らかい心地良さがそこから伝わった。
 ――まるで、いたぶられている小動物のような。そんな気分だったのかもしれなかった。
 少し冷えた頭で考える。己に打った猫の遺伝子は、こんなところにまで影響を及ぼしていたらしい。
 スティーブは俺の猫耳から手を離し、そっと頬に口付ける。両手は俺の体にまわり、今度こそ、ぎゅうと力強く、でも、決して俺の負担にならない力加減で抱きしめてきた。
「すまない、やりすぎた」
 ちゅ、と、本物の耳に唇が寄せられる。久しぶりの感覚に、ふにゃりと唇が緩んだ。
「……そうだ、やりすぎだ」
 拗ねたように言うと、ふっと含み笑いが耳をくすぐった。温かく、湿った吐息に、緩んだ唇が疼いてくる。
「スティーブ、」
 言い切らない内に、待ち望んでいた唇がふってきた。俺のもスティーブのもかさついていて、気持ちいいと言うよりは少し痛みが勝っていた。だけど、ぷっくりとした唇が俺の口元を這うだけで、指先がひく、と震えてしまう。そんなにキスは好きじゃなかった俺がこんなにも唇を求めるようになったのは、間違いなく、この男のせいなのだ。
「……あれがマンネリ対策だったのか?」
 ちゅ、ちゅ、と落とされるキスに応えながら訊く。すると、スティーブは苦笑して唇を軽く噛んできた。
「ああ。咄嗟に思いついただけなんだが……お粗末だったか?」
 ぬる、と咥内に舌が入ってくる。それを迎えるように舌を絡ませると、腰の辺りに当たっているものがぐんと硬さを増した。
「ん……君にしては、なかなか……、ン、刺激的、んむ、だった」
「元気じゃないか」
 すり、と胸の粒を撫でられて、ひりひりと赤くなっていたそこへの刺激に甘い声が漏れる。気を良くしたのか、スティーブの舌がより活動的になった。
「――悪かった」
 ふと、ぼそりとそう呟く。
 スティーブは「何が?」と相変わらず胸を揉んでいたが。
「マンネリだなんて言って」
「……ああ」
「それだけか?」
「思うところがなかったわけじゃないが、まあ、惰性があったことは確かだろう」
 粒がぴんっと弾かれて体から力が抜けた。ずっとスティーブが胸を揉み続けているので、こんなにも俺の胸が好きだったか? と思ってしまう。
「ずっと怒ってたじゃないか」
「久しぶりに君と言いあったから後に引けなかった」
「な、」
「って言ったら、今度は君が怒るだろう?」
 物申してやろうと開いた唇は案の定、スティーブによって塞がれてしまう。図太くなったもんだと大人しく舌を受け入れる。
怒ってないなら、よかった。
「……スティーブ」
 もぞ、と腰を浮かせると、承知したように両手で掴まれた。散々揉まれた胸が何だか張っているような気がして恥ずかしいのは内緒だ。
「久しぶりだから、後ろからにしよう」
 スティーブの提案に、本当は正面からがよかったのだけど、それ以上に俺の尻の安全の方が心配だったので、素直に頷く。
 手をついて四つん這いになるのは、何度回数を重ねても羞恥心が消えない。スティーブの性器を受け入れる為だけに準備されたそこを、あられもなく曝け出すのだ。だから俺は後背位はあまり得意じゃないのだが、スティーブは存外、これが好きだ。ごく、と喉が鳴る音が聞こえた。ほら、やっぱり。
 するりと腰が撫でられる。後ろからする時のスティーブの癖だ。何度も往復されて、びくびくと震えが大きくなっていく。焦らされるのは嫌いだが、これは案外、嫌いじゃない。
「……ッあ」
 ぴと、と入口に硬くそそり立ったものがつけられる。ぷくりと膨れた縁を堪能するように上下に擦りつけられた。
「――ぅ、」
 もどかしくて後ろを振り返ると、先ほどよりも息を荒げているスティーブと目が合った。
 来てくれと言う前に、つぷ、と先端が壁を割った。
「あ、あ、」
 ずぷ、ちゅぷ、と比較的スムーズに入ってくるが、やはり圧迫感は消えない。スティーブが入れてくるタイミングに合わせて呼吸をする。猫の尻尾なんかとは違う。熱くて、硬くて、太くて、張り出した血管さえわかるようだ。
「ぅあ、……ッ、ァ」
「く……っ」
 前立腺を過ぎて少ししたところで侵入してくる動きが止まる。これで全部入ったというなら気も抜けるのだが、如何せんそうはいかない。なんたって相手は超人血清を持つスーパーソルジャーだ。夜にこれを言うと、スティーブは必ず不機嫌になるのだけど。
「……っは、あい、かわらず、でかいな」
「好きだろう?」
 振り返って言えば、くっと口角を上げられてそう返された。挑発的な笑みにぞくっと腰が揺れる。
「キャップが、ぅ、そんな、口を、――ッあ!」
 憎まれ口を叩いてみたものの、一気に奥へと性器が突き上げてきて、続きは言葉にならなかった。
「あっ、はぁッ、ぅ、……――ッん」
 奥はまだ開けていなかったので、スティーブが馴染ませるようにして腰を使う。何もしていなくても、とん、と奥の壁にふれるこの男の性器は、やはり凶器だ。
「う、――ッ、あ、あ」
「……っ、動く、ぞ」
「あッ!」
 腰をぎゅうっと痕がつくほど掴まれて、それに震える間もなくピストンが始まる。腰を掴む力強さとは裏腹に、思いのほか中を犯す動きは緩やかだ。
 それが俺にとって優しいかと言われたら、必ずしもそうではないのだが。
「あっ、あっ、んんッ――!」
「ッ、う、」
 バスルームで解され、ここで尻尾を入れ、俺の後ろはもう既にできあがっているのもいいとこだった。だから本当はもっとがむしゃらに突いてほしかったのだが。
背中に覆いかぶさってきたスティーブの吐き出す息が甘ったるくて、言い出せない。
「く、……っ、トニー……ッ」
 ずぷ、ぬちゅ、と濡れた音が部屋に響く。とろとろと溢れる先走りがシーツに染みを作っていた。
 スティーブの手がそっと俺の体を這う。ゆっくりとしたピストンに、羽でふれられているような愛撫をされて、どこもかしこも溶けていくようだ。
「……っふ、」
 ふと、スティーブが笑う声がした。何だ、と、はふはふ息を吐きながらちらりと後ろに視線をやると、ぴん、と真っ直ぐに立った俺の尻尾が目に入った。
「……少し邪魔だな」
 え、と戸惑っているうちに、きゅうっと尻尾がスティーブの手に掴まれた。
「みゃぁッ!?」
 びくんっと体が思い切りはねた。尻尾から尾骶骨へ、腰へ、その先へとぞわぞわ快感が駆け上がってくる。
 ああ、ああ、忘れてた。俺の間抜けな失敗作のことを!
「あ、あ、スティーブ」
「――すごいな」
「にィッ! や、やだ、あ、あう、」
 尻尾の付け根をこしこしと握られ、先の方へと手が滑っていく。尻尾の快感に震えるたびに後ろを締め付けてしまって、スティーブの性器に腸壁が絡みつくのを感じる。
「あ……ッ! あ、みゃぅ、ん、――ッんあ!」
 ずぷずぷとピストンの速さが増していく。それに合わせるようにして尻尾を弄られてはたまらなかった。
「みゃ、みゃ、……――んんッ! や、やぁッ」
「こっちは?」
「ひにィッ!」
 尻尾から離れた手が向かった先は、頭の上に生えた耳だ。その付け根をくりくりとくすぐられて、もう猫としか言いようがない声が飛び出る。髭が生えたいい歳した男の、猫の鳴き真似のような声なんて。情けなくて涙が出てくるが、実際に溢れてくるのは気持ちよさに滲み出る涙だった。
「んぐッ、ああ、みゃあッ、……ッや、ァ、」
 ぐ、ぐ、と奥に肉棒が押し付けられる。興奮しているのか、いつもより大きい気がした。
「トニー、教えてくれ」
「にゃぅ、う、……ッあ――?」
 ぴた、と最奥に擦りつけたままスティーブの腰の動きが止まった。突然止んだ刺激にひくひくと体を震わせながらも、なんとか彼の方に顔を向けようと努力する。
「な、に、」
「なぜ君は猫になろうとしたんだ?」
 予想もしてなかった問いかけに、一瞬頭がついていかなかった。
「へ――?」
「あの子の遊び相手になろうだなんて、嘘だろう?」
 スティーブの言う「あの子」とは、先日拾ってきたあの白い子猫だろう。
 まさか今になって俺が猫耳や尻尾を生やす羽目になった理由を聞かれるとは思わなかった。
「そ、れは、」
「うん?」
「…………」
 言えない。これはいくら俺でも。いや、俺だからこそ。
 黙ったままの俺にスティーブは何を思ったのか、尻尾の先をぐにゅっと指で押しつぶした。
「にゃあッ!?」
「言えないか?」
 びく、びく、と震える俺に構わず、スティーブはそれを好き勝手に弄る。言葉にはしないが、俺が本当のことを言わないとずっとこのままにされるのだろう。
 スティーブの少し嗜虐的な面は、さっき収まったと思ったのに。尻尾を弄りながら腰も緩く動かすこの男は、先ほどのように俺を追い詰める。
「ふ、ぅ、だ、だめ」
「だめ?」
「や、い、言えな、……――ッ!?」
 ぐりぃっと奥を抉られて。ちかちかと脳裏に星が浮かぶ。
「トニー」
 ちゅ、とうなじにキスをされ、優しい優しい声で名前を呼ばれた。辛うじて肘をついていた俺は、先ほどのスティーブのせいで上半身を全てベッドに突っ伏してしまった。
「教えてくれ。私にどうしてほしい?」
 ひくひくと震える指でなんとかシーツにすがりつく。そうでもしないと、意識が持っていかれそうだった。
「君のその耳も尻尾も、私のせい――私のためか?」
 最後は、本物の耳元で、そう囁かれて。低く濡れたスティーブの声にそこで囁かれたら、俺はもう、拒否なんてできるはずもなかった。
「……るい」
「え?」
「あの、ねこ、ずるい」
 シーツを握る手がふる、と微かに動く。本当のことを言うのは屈辱的でもあったのだが、ここ二週間ほど溜めていたものを吐き出すのは、少し爽快さもあった。
「ずるい?」
「だ、って、――お、俺のことは避けてた、くせに、……猫、は、構ってたし、」
「…………」
「あいつはかわいいから、仕方ないけど……」
 かわいいからじゃない? と言っていたサムを思い出す。そりゃあ、可愛いものがあったら愛でるのは、ほとんどの人間がそうで。だからそれはスティーブも例外じゃなかったというだけの話なのだが――ああ、何を言いたいのかよくわからなくなってきた。
「だからってどうして、」
「サムが……」
「サム?」
「キャプテンは猫ならなんでも、かわいがるって」
 本当はそう訊いたのは俺で、サムはただ肯定しただけなのだが、素直にそう言うのは恥ずかしく、責任転換のような真似をしてしまった。すまないサム。
 尾骶骨から生える尻尾がゆらりと動く。俺もあいつみたいに、猫になったら――その結果生まれてしまったのは、中途半端に猫耳と尻尾を生やした成人男性。また情けなさが襲ってきた。後ろのスティーブは何も言わないし。
「……だから猫になろうとしたのか?」
「…………」
 スティーブが上半身を倒してきたので、中のものがぐっと押し進められる。は、と息を吐くと、スティーブが頭を撫でてきた。
「トニー?」
「……そうだ」
 大人しく認めた。ここまで来たら、誤魔化してもしょうがないだろう。若干開き直って後ろを向くと、スティーブが俺の肩に顔を埋めていた。
「……スティーブ?」
「君はほんとに――」
「ッ!?」
 ぐぐっと、中で我が物顔で居座っている性器が大きくなった。すっかりスティーブの形で馴染んでいた中は、急にサイズが変わったそれにぐねぐねと混乱している。
「あ、すてぃ、ぶ、中、」
「構ってほしかったのか?」
 ずり、と性器がゆっくり引きずり出されていく。排泄にも似た快感にぞわぞわと鳥肌が立った。
「や、ぁあ」
「君はほんとに、わかりにくい」
 張り出したカリが前立腺をぎゅうっと押しつぶし、そのまま限界まで性器が引き抜かれていく。縁の辺りでそれが留まると、急に空になった腹の中が喪失感を訴えてきた。
「あ、あ、すてぃ、抜け、る」
「……かわいがってほしかった?」
 くぷくぷと入口で先端が抜き挿しされる。一番太いそこが一番締め付けの強い縁をミチミチと割り開いていて、今まで味わったことのない圧迫感に上手く呼吸ができない。
「やだ、そこ、あ、ァ、やだぁ」
「トニー、言うんだ」
「なに、やぁ、あ、おく、……ッ、おく、に、」
 中が寂しく、奥に欲しいとねだってしまう。しかし、スティーブはそんな俺の願いを聞くことはなく、パンッと尻尾の生え際辺りに手を軽く振り下ろした。
「ッみゃあ!?」
 びくんっ! と、あまりの衝撃に体が大きく跳ねた。
「みゃ、ゃ……――? あ、ァ……?」
 びくん、びくん、と震えは止まらず、閉じきらない口から涎が零れてくる。
 なんだ? なにが起きた?
「――すっかり猫だな」
「ひぅ、なに、なに? ッぁあ! にゃ、にゃぅッ!」
 パンッとまたしてもそこを叩かれる。けして痛くはないが、肌が弾かれる衝撃に、視界にちかちかと星が舞った。
「や、すてぃーぶ、叩いちゃ、ァ、みゃぅッ!」
 ただ叩かれる衝撃に悶えているわけじゃない。経験したことのない恍惚が叩かれる場所から湧き上がってくる。あ、あ、と形にならない声が漏れて、腰が次第に高く上がっていく。
「気持ちよさそうだ」
「……ッ! ……――っ! みゃ、みゃぁ」
 今度はとん、とん、と一定のリズムで尾骶骨から腰のくぼみを軽く叩かれる。顔をシーツに擦りつけて、顔をぐしゃぐしゃにさせながら悶えた。
「かわいがってほしかったのか?」
 肌が弾かれる音と共に、入口辺りで留まっていた性器が再び中へとずりずり入ってくる。あまりにゆっくりとしたその動きがもどかしく、腰が揺らめいてしまう。
「あ、あ、にゃぅ、にゃ、」
「トニー?」
「……かった、ほしかった、からぁ……! や、も、スティーブ!」
 艶々としたしなやかな尻尾が、俺の腰を叩いていたスティーブの腕に巻き付く。俺自身よりよっぽど素直なそれに、スティーブは気を良くしたようだった。
「かわいいな」
「う、ぅう、」
 叩く手が一旦止まり、ぐっと腰が掴まれた。スティーブの手によって更に高く腰が上げられ、伸びをするような猫の体勢になる。
「……ぁ、あ、ァあ」
 ぐ、ぐ、と緩やかに中が犯される。それに身悶えていると、急にずんっと強く突き上げられた。
「ひんッ!」
 最奥が待ち望んでいたかのようにきゅうきゅうと亀頭を締め付ける。まとわりついてくる肉壁を振り払うかのように、また勢いよく引き抜かれた。そしてまた奥へと――単調なはずの動きが、どうしようもなく俺を悶えさせる。
「あ、ァ、んンッ! ……――ッあ、ぁぁあ!」
「う、……ッ、く、」
 じくじくと疼く奥が容赦なく押しつぶされる。二週間ぶりのそこへの刺激はたまらなく、ひんひんと啼くことしかできなかった。
 腰を掴んでいた手が、ゆっくり腹へとまわされる。より体が密着して、限界だと思っていた最奥の先を更に開かれた。
「ァ、ああ、みゃ、や、」
 すりすりと腹を撫ぜられて、中に入っているものを確かめるようにぐ、と押される。上から形をなぞるように手が腹を這い、否が応でもペニスの形を意識することになる。
「私の形だ」
「や、やぁ、すてぃーぶ、」
「わかるか?」
「あ、ァ、うん、ン、」
 こくこくと頷くと、褒めるように頭を撫でられた。体の奥からぼおっと多幸感が滲みだす。これは猫の本能なのか、それとも。
「……――ッう、あ、にうッ、ぅ、」
 スティーブを離すまいと、尻尾が彼の体に巻き付いていく。この体勢ではスティーブに抱き付けないので、尻尾を通してその体にふれることが出来るのは嬉しかった。
 スティーブの腰の動きが速まっていく。そして、ずぐっと腹に衝撃が響いた後、かぽりと先端が奥に嵌るのを感じた。初めてではないが、気持ちいいのかすらもよくわからなくなるこれには、いつも頭がおかしくなりそうで。
「――ァ、ああ、……みゃ、みゃぅ」
 シーツを握り、かたかたと震える俺を宥めるように、ちゅ、ちゅ、と色々なところにキスがふってくる。普段は奥に嵌ったらいったん動きを止めてくれるのに、今日はそのまま容赦なく抜き挿しを繰り返された。腹の奥から鈍痛に似た快感がじくじく溜まっていく。まるで、風船を満たしていく水のようだ。
 獣のような体位での交わりに、頭が熱で浮かされてどうにかなってしまう。キャプテンがこんな姿勢で必死に腰を振る姿を見られないのは少し残念だったが、耳元で荒い息を感じたら、そんなことを考える余裕も吹き飛ばされる。
 ぬちゃ、ぬちゃ、と尻から卑猥な音がする。その音すらもかき混ぜるようにしてスティーブは動いていた。
「トニー……ッ」
「あ、あ、あ、……ッくる、くるぅッ!」
 破裂する風船。そんなイメージが頭を過ぎった。止まらない律動に身を任せてただただ喘ぐ。奥を抉るようにして突かれれば、大きな絶頂の波が襲ってきた。
「ああ、あぁああッ!」
 びくっ、びくっと体がはねる。そんな俺を抱きつぶすようにしてスティーブが両腕に力を込めた。
 しかし、
「……――?」
 ぴくぴくと震えが止まらない中、俺は少々混乱していた。
「ぇあ、あ――?」
 破裂する風船。じゃない。今来た絶頂の波は確かに大きかったのだけど、辿りつくまでにさらさらと引いてしまった。パンパンになった風船に針が刺されて、とろとろと静かに零れ落ちていく。先程の絶頂は、それだった。
「トニー?」
「や、な、で、」
「どうした?」
「クる、クるのにぃっ! ……――ッ、あ、ああ、」
 まただ、また絶頂の波が来る。だけどそれも、決定的なところまで辿りつく前に消えてしまうのだ。
 達しているけど、それはあまりに小さいもので。体の奥底に溜まっている快楽は依然として吐き出せないままだった。
「スティーブ、すてぃーぶ、」
「…………」
 ひぐひぐと泣きじゃくっていると、スティーブの動きが止んだ。急に律動を止められてもたまらない。必死に腰を揺らめかせる俺を宥めながら、スティーブは言った。
「君は今、猫なんだ」
「ふ、ぅ…――?」
「怒らないでくれよ――? いい子だ」
 スティーブはそう言って、がぶ、と、俺のうなじに噛みついた。
「……――ッ!?」
 ぐぅうっと、腹の底から何かが這い上がってくる。
「ァ、みゃ、みゃぁあ……」
 絶頂なのか、これは。
そんなことすらもわからなかった。
 ぱんぱんに膨れていた快感が、ぶしゃりと潰れて体中を渦のように駆け巡る。腹の中が男の精子を求めるようにきゅうきゅうと切なく蠢いた。
ああ、そういえば、雌猫はうなじを噛まれると――。
「……ットニー、」
 ぎゅうっと締め付ける腸壁に屈したのか、スティーブも低く呻いて中で達した。びゅるびゅるっと勢いよく吐き出されたものを、そう、まるで美味しそうに、肉壁は吸い付き味わっていた。
「っは、く、……すごい、な」
「みゃぅ、ゃ、ァあ、」
 熱い。熱くてたまらない。脳天を突き上げるような絶頂が体から引かない。腹の奥は、精液を吐き出したペニスを、まだ足りないとでも言うようにしつこくしゃぶっていた。
 噛み痕がついているだろううなじを舐められる。けして出来るはずのないものが、腹の奥で形を成すような――ああこれは、間違いなく雌の快感だ。
「すてぃ、ぶ」
「ん……?」
「かん、で、噛んで」
 全身から力が抜けてしまって振り返ることすらままならない。だけど、シーツに頬をくっつけたまま必死にスティーブの方を見ようとする俺に、スティーブは応えてくれた。
「噛んでほしいのか?」
「ん、ん、」
 こくこくと頷くと、ちゅ、と唇の端にキスをされた。ぺろりと舐めると、今度は深く口づけされた。
「……本当に出来そうだな」
 そう言って、スティーブは再び、俺の中で自身を硬くさせながらうなじに噛みついてくる。
 腹を撫でてくる手に、俺はみゃあと甘えた鳴き声を出しながら、ゆらりと動く尻尾で、スティーブの体にぐるりと抱き付いた。

 

「余裕なんてなかっただろう?」
 枕に右肘をつきながら、スティーブはそう言った。
「へ?」
「いつも自分だけがいっぱいいっぱいだって言ってたじゃないか」
 その言葉に、何日か前の己の言動を思い出した。女々しい言い方をしてしまったと、再び恥ずかしくなる。
「……忘れてくれ」
 抱きしめてくるスティーブの腕から逃れるように下へ下へともぞもぞ移動すると、わきの下に手を入れられて引き戻されてしまった。
「私はそれで結構悩んだんだぞ?」
 苦笑するスティーブに、目を丸くした。そんな様子など欠片も見せていなかったから。
「わかってくれたか?」
「何を?」
「とぼけないでくれ」
「……わかったさ、充分すぎるくらいにね」
 言うと、くすっと軽く笑われた。それに口を尖らせると指で唇を挟まれる。
「シャワーは?」
「ん、まだいい」
 シャワーを浴びるだけの体力は、まだ戻っていない。べたべたに濡れた体は拭いたものの、シーツを取り換える余力はお互い残っていなかったので、ベッドの上は酷いことになっている。それでもまだ、ここから動きたくなかった。久しぶりに肌で感じるスティーブの体温は、とても離れがたいものだった。
「そういえば、」
「うん?」
「あの子の引き取り先が見つかった」
 嬉しそうに、しかし、少し残念そうに。スティーブが言ったことに目を丸くして驚く。
 あの猫の引き取り云々については全くのノータッチだったので初耳だった。大方SNSなどを駆使してサムたちが協力していたのだろう。
「そうか」
「ああ」
「……寂しそうだな?」
 目の前の顔が、一瞬ぽかんとする。そして数秒した後、誤魔化すことなくスティーブはこくりと頷いた。
「どこに貰われるんだ?」
「郊外に住んでる老夫婦だ。子どもたちが皆巣立ったから、犬か猫でも飼おうとしていたらしい」
「ふぅん」
「白い毛並が気に入って、人懐っこいのも嬉しいと」
「もうあいつは新しい飼い主に会ったのか?」
「いや、まだだ。明後日にその老夫婦の家に連れていく」
 スティーブは俺の頭の上の耳を弄りながら話している。ぴこぴこと動く耳は猫そのもので、あの子猫でも思い出しているのだろうか。
 スティーブのその寂しげな様子に、こちらも引っ張られてしまう。あのあどけなく、構ってもらうことが大好きな子猫が、タワーから去っていく。ここに滞在していた期間は二週間弱と短いものだったのに、あいつはすっかりアベンジャーズの皆を虜にさせていた。
「サムたちは寂しがるだろうな」
「そうだな。ハルクにはもう行くのか? って縋るような目で見られたよ」
 その言葉に、思わずくすっと笑みがこぼれる。子猫に骨抜きにされるヒーローたち。なんと平和な響きだろうか。
「まあ、何だ。寂しくなったら、また俺が猫になってやるさ」
「だめだ、もう失敗しているじゃないか」
「次は成功させる。この俺だぞ?」
「だめだ」
 頑ななスティーブは、その間も俺の耳を撫で繰り回している。気に入っているのは確かなのに、面倒くさい男だ。
「まだ体にどんな影響があるかわからない、それに」
 ぐいっと姿勢を変えられ、スティーブの体の上に載せられた。たくましい胸筋を直に感じて、きゅっと心臓の辺りが音を立てる。
「君が私以外に撫で繰り回されているのを見るのは――正直、いい気はしないな」
 苦笑するかのような表情を見て、あ、と俺は合点がいった。
「あの時妬いてたのか!?」
「……そうとも言う」
 リビングでメンバーに耳や尻尾を撫でられていた時、トレーニングに行くとスティーブが不機嫌そうに立ち上がり――ちらりとこちらに視線をやった意味を理解する。
 スティーブは手を移動させて、尻の辺りで揺らめいている俺の尻尾を撫で上げていた。
「君も十分わかりにくいぞ」
「お互い様だ」
 ちゅ、と、少し髭が生え始めている顎にキスをすると頭を撫でられる。スティーブに洗われた髪はさらさらと彼の手から零れ落ちていた。
「あと、俺も訊きたいんだが」
「ああ」
「何であいつを拾ってきたんだ?」
 顔を上げて、そう尋ねる。少し驚いた様子のスティーブを見て、話を続けた。
「君が犬好きだっていうのはサムから聞いた。だから君が子猫を拾ってくるのが意外でな。なぜだ?」
「…………」
 スティーブが少し考えるようにして目を伏せる。それを覗きこむように顔を近づけると、ふっと唇を綻ばせながらスティーブは言った。
「君は猫に似ているから、猫が好きだと思った」
 くい、と目元を指で擦られる。それに擦り寄れば、「ほら」と何がおかしいのかスティーブが笑った。
 それは、俺が猫に似ているから、俺は猫が好きなんだろうと思ったのか。――それとも、俺が猫に似ているから、スティーブは猫が好きなのか。
(まあ多分、両方だろうな)
 スティーブが久しぶりに、俺を甘やかして笑ってくれるのがうれしい。
「なぁ、スティーブ」
 だから、もう少しそんなスティーブを堪能したいと思った。
「もう一回、」
 ぺろりと頬を舐めると、スティーブの喉が鳴った。
 大きな手が再び俺の腰にまわる。それに満足感を覚えながら、「みゃう」と、今度は俺自身の意思で、猫の鳴き真似をしてみせたのだった。

Fin.